絶望からスタートするブログ
基本的に独り言です。自分による自分のための言葉です。気分を害される方は読まないことをお勧めします。あなたの気を悪くすることは僕の本意じゃないので。
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2006年 07月 27日 (木)

 社会的に成功者と称される人が小学生に「自分に興味のあるものを見つけて、とことんやる。それが夢につながる。」みたいなことを言う場面を見て、そんなに好きなことで食ってけないでしょ、あなたは数少ない成功者なんだよ、と生温かい目で見てた。

 でも、最近「興味を持ってとことんやること」、大事かもしれないと思う。

 昔は、若者らしく(この表現が若くないけど)遊んでいた同年代の人達に対し、集団に馴染めず、孤独に意味不明な時間の浪費をしていた僕は、羨望と劣等感のどうしようもない感情があった。
 
 最近では、同級生が旅行、ドライブ、合コン、花火大会・・・・大学生っぽい?(ごめん、俺良く分からない)楽しい時間を過ごしているのを聞いても、楽しそうでいいね~って感じだ。良く言えば他人の幸せを喜べる、ということだけど実際は無関心になっただけ。経済的にも、対人関係も、面倒。だから、どうでもいい。金もないし、どうせ俺馴染めないしー。関心、興味、意欲、ない。

 そういえば、いつの間にか趣味がなくなった。高校時代から使ってたプレステは壊れた。映画も音楽も最近面倒で聴いてない。適当にテレビ観て、サイト巡って、煙草吸って、ブログ更新しているだけだ。別に趣味持っても金になんないし、将来に繋がることしようと思うと、どうでもよくなった。将来に役立つことだけしようと思った。でも、気が重くなって結局何もしない。無気力状態。無味乾燥な世界が広がっていた。

 だから、金になるとか、ならないじゃなく単純に好きなことに時間を費やすのも必要かな、そんな気がしてる。それが世界と自分を結ぶ命綱。このままじゃ、無機質な世界の前に立ちつくし、堕ちてゆくだけの気がする・・・・・・

 長々と書いたけど、一言でいうと「趣味を大切に!」
 それだけなんだけどね。
2006年 07月 21日 (金)
最近思ったこと。

自分の人生だから辛い。

 これだけ書くとなんか「他人の不幸は蜜の味」みたいな、「他人なんか不幸でもいいいよ、別に。」って思われそう。それとはまた違う話。
 メンヘル系のブログで「死にたい」とかネガティブな記事に対して、励ましのコメントがつく場合があるじゃん。他の人のブログ読んだときは、ポジティブな方向のメッセージを書きやすいけどさ、自分がその境遇の場合はなかなか前向きな姿勢になるのが難しいってこと。だから、僕の場合はあまり「頑張ってください」とかコメント残さない(残せない)。他の人に「頑張って」っていうのは簡単だけど、僕が頑張るのはキツイから。

 話がそれるかも分からないけど、ホラー映画とかも観てる分には、”恐怖”を楽しめる。でも、自分がさ、殺人鬼や化け物に追われて殺される状況になるのは嫌でしょ?(殺してくれるならラッキーって人は別だけど)感情移入するにしても、劇中の人物が感じてる焦燥感、なんでこんな状況になったの?という被害者感情とか、不快でどうしよもない感情をフィルターでふるい分けて観てる気がする。

 主観に入ると辛えなあ、いろいろと。理性的な”答え”としては前向きな方向に頑張ればいいんだろうけど、他人の事ならそれを考えられるけど、前向きな面倒くさい作業をやる当人としては・・・だるいなあ。

 真摯に人生に向き合う、僕には胃に穴が空きそうな苦痛な作業だ。適当に人生に向き合う、先行きが不安だ。楽しく人生に向き合う、誰の話?

 苦し紛れ気味の結論、透明人間になりたい、いい意味で。主観を消して対象世界の認識のなかで自己を把握する・・まあ、こうやって観念上で問題を解決してもねえ。

 この文章、率直に書いてたら、いつになく口語調になりましたね。
2006年 07月 20日 (木)
率直に、言いたいことは言うべきだ。
                但し、場の空気を読んで。
                但し、相手の気持ちを考えて。
                但し、今後の人間関係考慮して。

率直に、やりたいことはやるべきだ。
      但し、安全にね。
      但し、計画的にね。
      但し、コストを意識して。 

率直に、生きるべきだ。
      但し、義務もあるらしい。
      但し、後から面倒にならないように。
      但し、思い通りにいかないよ。
      
 
但し書きを意識しすぎて、もはや率直じゃなくなってる。
2006年 07月 14日 (金)

 映画や小説の主人公。途中、物語を盛り上げるため絶体絶命のピンチに見舞われたりするけど、最終的に大逆転でハッピーエンド、よくあるパターン。アクション映画の主人公は無数のザコキャラの発砲に当たらない。勧善懲悪がはっきりした戦闘シーンがある漫画、生死をかけた困難な闘いを繰り返しても主人公はなかなか死なない。

 これは作者という世界の創造神がいるからだ。主人公は神の意志によってハッピーエンドを保証されている。(場合によって殺されるけど)
 僕が生きている世界に神がいるかどうか分からない。だけど幼いころ、漠然と、道を踏み外すことはありえない気がしてた。困難なことは時間が解決して、いつか納得できる未来に必ず辿りつくと思い込んでた。根拠のない保証が・・・

 中学の同級生、ひとりは交通事故で命を亡くした。
                              ひとりは反社会的組織に入り、人生が狂うほどの犯罪を犯した。

保証なんてないんだね。想像した未来が来るとは限らないんだね。実際、今の僕は昔に想像した大学生活と違うよ。未来に夢を託すこと、その意味で切なくもある・・・・


だから面白い?だから悲しい?結果にとらわれてはいけない?失敗は成功の糧になる?人生が生きるに値する保証はない?分からないから未来は自分で創る?

・・・・・・・うまくまとまらない。

 
2006年 07月 06日 (木)

「街を歩いていると、すれ違った人が笑ってる。自分のことを」
「周りの人に嫌われている/軽蔑されてる/バカにされてる」
ブログや掲示板でこういう文を見かける。

 逆に冷たい言い方かもしれませんが、相手はそこまであなたに関心があるとは限りませんよ?あなたからすると、注視されてバカにされているかもしれないですが、相手から見れば、全体の中の一人です。それほど気にしていないんじゃないですか。だいたい、街であなたの近くの人が笑っていたからって、あなたのこと笑ってると考えるのは短絡的です。その隣の人との会話で笑ってるんじゃないですか。逆に、関心を持たれている場合、悪意とは限りません。好意かも知れません。

 とにかく、一番言いたいのは実害より、その考え方で自分が傷ついてないですか?仮にバカにされていたとしても、深く考えないようにしましょうよ。そのほうが楽じゃないですか?

 ↑の話は一般論である。
 僕は非常に特殊なケースで、本当に嘲笑されている。街で一人で歩いて、僕とすれ違って笑い出す人の3割は僕のことを笑っている。僕は周りの人に引かれている。だから、なるべく存在を消すようにしよう。一人で受けた授業で前の女子2人が笑っていたのは、僕のことをバカにしている。
だから、なるべく人通りの多いところには行きたくない。あまり、他人の視野に入りたくない。迷惑をかけたくない・・・



・・・・・・・・どうなんだろう。本当のところは?
2006年 06月 25日 (日)

強い人間になりたい。

僕の理想は、
権力を持った人間、強靭な精神力、自分を押し通す力・・・・
ではなく

僕が求める
強さ:安定、低リスク、地味、淡々、マイペース・・・・
こんな感じ。
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