絶望からスタートするブログ
基本的に独り言です。自分による自分のための言葉です。気分を害される方は読まないことをお勧めします。あなたの気を悪くすることは僕の本意じゃないので。
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2006年 07月 11日 (火)

まずは言い訳から。この記事、村上陽一郎氏の意見とかぶるかもしれない。彼の本は読んだことないけど、彼の文章を読んで、僕が漠然と考えていたこと(これから書く)を明確に述べていた気がした。だけど、この記事の思考は僕が考えたことが偶然村上氏の考えと一致したのか、それとも彼の文章を読んで、自分の考えだと思い込んだか(パクリ?)昔の話なので曖昧で覚えてない。かぶりかもしれないし、パクリかもしれない。たいして読んでないからかぶってない可能性も。

環境破壊、環境汚染・・・・・この分野に疎い僕がこの言葉から連想される事例を考えてみる。
森林伐採、大気汚染、オゾンホール破壊、ゴミ問題、生態系への悪影響・・・・・

森が砂漠化する、大気が汚染される・・・・地球を擬人化させて『地球は泣いている』。こう表現する。本当に地球は泣いてるの?同じ地球を擬人化させるなら、森が砂漠化した状況は無駄毛処理だと思って喜んでいるかもしれない。煙草の煙が好きな人もいるように、地球は人間が大気汚染だと定義した大気の状況を喜んでるかもしれない。なんで極端な反例を出したか?人間が地球のためにと、問題を一般化しているけど、何が地球にとっていいか悪いか、定義してるのは人間じゃない?

僕は生態系の話に詳しくないけど、人間の活動である種の生物が減ったとしても地球にとって悪いこと?地球が誕生したときから、生態系は変化しつづけてるのでは?ある種の生物が減少したからって、人間の人を殺してはいけないってルールが食物連鎖で成り立つ自然界に適用されるの?地球自体、案外生物が多すぎる減らしてくれって思ってるかもよ。分かんないけど。絶滅する天然記念動物は保護すべきで、害虫は駆除すべき、何がいい生物で何が悪い生物か人間が決めたものだよね。

そろそろ結論。環境保全は「地球のために」とか変に問題を一般化しないで「人間が住みやすい環境のために」と言ったほうが(ここは完全に村上氏)論点がずれない気がする。住みよい環境のために、砂漠化や大気汚染や生態系への悪影響は困る。これで良くないかなあ。

「人間は地球環境を悪化させる存在だから、いないほうが地球のためにいい」って表現に違和感がある。何が地球環境にとって”悪化”か”良化”か、決めてるのは人間なのに。そして、その大半は自分達が住みやすいかどうかなのに。まるで汗っかきのA君が「汗っかきはクラスからいなくなればいい」と言って自己嫌悪してるよう。汗をかいて困るのは自分だけど、その定義で自分を苦しめることないでしょ。人間にとって住みやすい環境をつくる。それでよくない?

この話屁理屈ぽいけど、僕はこっちのほうが筋が通ってる気がする。そして、やっぱりパクリかもしれない。
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Comment
この記事へのコメント
[]
そうですね
俺も地球のために、っていうのはイコール人間のために、と解釈してました
そもそも地球には感情なんてないわけで
2006/ 07/ 12 (水) 17: 42: 57 | URL | 鈴木 # -[ 編集 ]
[そうですよね]
鈴木さんのような解釈なら実用的ですが、地球のためにって名目で人間の利益と関係ないことへ行くと焦点がよく分からなくならないかな~と思って書きました。
2006/ 07/ 12 (水) 17: 52: 41 | URL | ぶらうざ # 3xs9owas[ 編集 ]
[トラックバックができなかったので・・・]
ここに張っていきます。
http://ameblo.jp/bursted-dam/entry-10003324094.html

僕も、「地球は泣いたりしない」ということには同感ですが、
「地球が泣いている」という表現にも、それ相応の人類の知恵が込められているのではないか、
と考えてみた次第です。
2006/ 07/ 13 (木) 21: 23: 14 | URL | まこっちゃ # mQop/nM.[ 編集 ]
[制限かけすぎたか・・・・]
トラックバックできませんでしたか。実はスパム対策として当ブログへのリンクがないトラバははじく設定にしてたのです。でも、今回のまこっちゃさんのようにスパムではなくリンクなしのケース、このブログまだ1回もトラバされてない事実(苦笑)からリンクに関するトラバ制限解除しました。スパムが増えてたらまた制限するかも。再度、トラックバックしていただけると幸いです。

リンク先の文章読みました。率直な感想として「そういう見方もあったのか」。地球(まこっちゃさんの記事では自然でしたが、話の都合上地球で統一させていただきます。)を擬人化するメリットを僕は思い付かなかったので新鮮でした。

まこっちゃさんも(文中で僕は人間のためと書きましたが、正確には現在~未来の人間のため)未来の人のためと書かれているので、これを前提に話を進めやすいのですが、一般論として「地球は泣いている」というフィクションの是非を問うのは難しいですね・・・利点としては未来の人間のために環境を考える動機付けになる。欠点として、「地球が泣いている」状況を解消しようとする活動(少しだけ後述)が未来の人間に必ずしも繋がるのか?「人間のために」というより、擬人化した分、焦点がぼやける懸念があります。活動内容の妥当性をチェックする基準を曖昧にしてしまわないか、ということです。僕はこの問題について情報量が少ないので↓、一般的な是非については分からないのが正直なところです。

まこっちゃさんのリンク先の記事を読んで、僕はなぜ地球を擬人化することに違和感があるのか、改めて気づきました。「地球を泣いている」ことを始点とすると、日本社会の土台となっている資本主義経済と相容れなくなると思うからです。大量消費大量生産で利益拡大を善とする考えと「地球を泣かせないこと」は根本的に矛盾してしまう。土台については否定しないまま、地球に優しくしようとすると消化不良(リンクの後に続く)
-------これが後述するとした例です。-------
『意味のないリサイクルが多すぎる』
http://eco.goo.ne.jp/business/keiei/web_session/2nd/takeda.html
--------
になってしまう場合があるし、突き詰めて考えると文明批判、人間がいないほうが地球にとっていい。僕はここに帰結します。これでは、未来の人間のためにという目標が本末転倒な気がします。他の人が「地球が泣いている」からどのように考えるか分からないので、これは個人的な意見ということで。

ただ、場合によってフィクションも有効という主張(こっちがまこっちゃさんの記事のメインかな?)には同意します。自然科学で自然を精緻に分析するだけでは、どうすればいいかの答えは見えてこない気がします。僕自身、わりとニヒリズム的な世界観を持っていると認識してますが、感情を掻き立てるフィクションが欲しいのも事実です。

同じ問題について、自分が考えもしなかった見方、発想に触れることができて面白かったです。ブロガーは思うに参加する意義はこういうところにあるのでしょう。 
2006/ 07/ 13 (木) 23: 38: 49 | URL | ぶらうざ # 3xs9owas[ 編集 ]
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