絶望からスタートするブログ
基本的に独り言です。自分による自分のための言葉です。気分を害される方は読まないことをお勧めします。あなたの気を悪くすることは僕の本意じゃないので。
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2006年 06月 14日 (水)
 

    本当に欲しいものが見つからない、もしくは本当に欲しいものが自分には手が届かない、と絶望すると人間は無気力になるんじゃないだろうか。精神疾患が無気力の原因の場合はこの考え方ですべて説明できないかもしれないが。

 願いを叶えることは、蜃気楼を目指すことに似ている。(リンク先:「+不条理な世界+」)理想郷を求め、そこに到達さえすれば満たされると想像しながら。着いた瞬間は狂喜乱舞。苦労したかいがあった。でも、それは幻で冷静に周りを見渡すと実は砂漠だった。

二車線の国道をまたぐように架かる虹を
自分のものにしようとして
カメラ向けた

光っていて大きくて
透けている三色の虹に
ピントが上手く合わずに
やがて虹は消えた

胸を揺さぶる憧れや理想は
やっと手にした瞬間にその姿を消すんだ
(Mr. Children「蘇生」より)

  人間の欲望は脳に浮かんだ幻影を追いかけるようなものだ。


「欲望の機構」
1)期待(幻影が浮かぶ)
2)追求(どうすれば幻影を)注:1)と並行して 
3)達成(幻影を具現化)
4)消費(具現化した喜びを消費していく)
※ひとつの1)~4)が終わるとまた別の機構

 1)~4)のような機構を対象(現実)世界に投射させたり、させなかったり(小説とか)。機構を対象世界に投射した例としてサッカーの試合を想定してみる。
 サッカーの試合をとって見ても長いスパンでみれば練習~試合からJリーグのシーズンもこの機構が働いているし、短いスパンでみれば1つの試合内でも考えられる。1つの試合を題材として、思考を続けてみる。

 勝敗にこたわらず「楽しむ」ことをメインにする場合もあるけど、「勝つ」こと第一義としたケースのほうが分かりやすいので、そのケースで。
 サッカーで「勝つ」こととは、「試合が終わった時点で相手より得点している」ということだ。(当たり前)その最終目的(「欲望の機構」3)と対応)を満たすため(「欲望の機構」2))に、「点を取る」ことと「点を入れされないこと」(これも当たり前)が重要になる。この2つが「欲望の機構」3)’になる。こうしてサッカーの試合の世界のなかで価値観が規定される。「点を取る」「点を防ぐ」が良いことでその逆が悪いこと、というような価値秩序が形成される。
 「点を取る」「点を防ぐ」(「機構」3)’)ためにFWがシュートを打てるようにパスをまわしたり、相手の攻撃を邪魔したりする。(「機構」2))勝利を望みながら。(「機構」1))そして、終了のホイッスルが鳴ったときに相手より得点を入れていれば(3))喜ぶ。(4))負けていれば3)は実現できず、落胆する。1つの試合(1)~4))が終われば、また違う試合(別の1)~4))がある。別の機構に移行するということだ。
 勝った試合(3)4)が実現)を回想して喜ぶこともあれば、負けた試合(3)4)まで到達せず)のイメージをひきずることもある。

 補足すると人間には飽きがある。かつては渇望した(「機構」1))ワールドカップ出場も(機構3)4))も達成する(4))とありがたみが小さくなる。この場合3)の価値が薄くなり1)の意識も薄くなる。4)も縮小される。だからそれより上(本大会ベスト8)を目指し3)を再構成したり、別の機構が重要になる。(オリンピックで、とか)

 ここまできてようやく本題だ。(ワールドカップに便乗してサッカーを例に出したことを後悔している)冒頭で無気力なケースとして
Ⅰ)本当に欲しいものが見つからない
Ⅱ)もしくは本当に欲しいものが自分には手が届かない
を挙げた。

Ⅰ)の例。W杯の試合などは「勝つ」(「機構」3))ことが重要で、大変価値がある。しかし、高校でどうでもいいクラスのどうでもいい体育祭のサッカーの試合はどうか?そこで「勝つ」3)ことは大したことじゃなく、むしろ試合をやりたくないから早く負けて欲しいと心の底で願ったりする。この場合、1)がうまく働かない。というか「欲望の機構」自体が機能しない。
 体育祭なんか、かったり~どうでもいいやと思ったりする。無気力な実例だ。(というか高校時代の僕)

Ⅱ)の例。滅多にありえないが、重要な試合でも前半0-23で負けてたとする。このとき3)
に到達するのが難しいと感じ、同様に1)が薄くなる。要はもうこの試合負けるわ、やる気ねえ~ってことだ。というか僕がこうだった

 無気力なパターンをまとめると
 Ⅰ):3)がイメージできず、「機構」が機能しない。1)が働かない。
 Ⅱ)「欲望の機構」は機能しているが、3)が実現困難で頓挫。
 逆に気力がある状態とは3)4)が明確にイメージでき、1)2)に能動的になっている状態といえる。

 そして僕はこの文章を机上の空論にせずに気力がある状態を体現すべきである。こんな文章だが、書くのに4時間くらいかかった。やっぱりサッカーの試合を持ち出したことに後悔している。
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Comment
この記事へのコメント
[期待しないという生き方]

トラバしていただきありがとうございました。
ぶらうざさんの「無気力論」興味深く読ませていただきました。
欲望のメカニズム分析が詳細に論じられており、なるほど~と思いながら読みました。
勝手に僕の意見を書き込むと次のような感じになります。

> 本当に欲しいものが見つからない、もしくは本当に欲しいものが自分には手が届かない、と絶望すると人間は無気力になるんじゃないだろうか。

前者(本当に欲しいものが見つからない)は人生の目的や目標や夢にあたり、後者の(本当に欲しいものが自分には手が届かない)は目的や夢を実現させるための手段にあたると思います。

>無気力なパターンをまとめると
> Ⅰ):3)がイメージできず、「機構」が機能しない。1)が働かない。
> Ⅱ)「欲望の機構」は機能しているが、3)が実現困難で頓挫。

Ⅰ)の場合は人生の夢や目標がうまく描けない、もしくは既にそれらが実現してしまって次の目標が見つからない状態にあたると思います。また、Ⅱ)の場合は夢や目標はあるものの、理想(期待)と現実とのギャップに苦しんでいる状態だと思います。このケースでは「欲望の機構」(期待と追求)は機能し続けているため、期待と追求をあきらめない限り基本的には「欲望の機構」の機能は維持し続けるためすぐには無気力状態には陥らないと思います。つまり、たとえ実現困難であっても3)をあきらめなければモチベーションは維持されたまま期待と追求は継続され、それなりに気力のある状態を保てるんじゃないかと思うんです。でも…。

> 逆に気力がある状態とは3)4)が明確にイメージでき、1)2)に能動的になっている状態といえる。

そうなんですよね。3)と4)の具体的なイメージがされていないと期待と追求を続けるためのモチベーションを維持することは難しいと思いますね。

「欲望の機構」をうまく回していくには(無気力に陥らないためには)期待の水準をあまり高く設定しないことが最善策かなぁと思いました。期待の水準が高いと期待はずれ(達成困難)に陥ったときの衝撃が大きくてそれで無気力になってしまうのではないかと思うからです。一番いいのは人生に期待しないということだと思います。何に対しても期待しないという生き方です。まあ、これはとても難しい(不可能?)と思います。
2006/ 06/ 14 (水) 21: 29: 20 | URL | 三太郎 # eP6Tb2xs[ 編集 ]
[煩悩にとらわれずに生きる? ]
 こんにちは。三太郎さん。

今回トラバしたのはリンク先の文章「目標達成の逆説」をはじめて読んだときに、僕も
似たようなことを考えた気がしたんですよ。そこで自分の考えと三太郎さんの考え、どう
重なるか分かったら面白いなと。三太郎さんのコメントでは、まさに僕が関心を持った内
容に触れてくださってありがとうございました。コメントの返信をするにあたって僕も当
初「どう考えがリンクするか」について書く予定だったのですが、三太郎さんがうまく扱
ってくださっているし・・・
>一番いいのは人生に期待しないということだと思います。何に対しても期待しないとい
う生き方です。まあ、これはとても難しい(不可能?)と思います。

 この考えが人生の本質を突いてると思ったので、こちらの返信をメインに書きます。

 その前に
>たとえ実現困難であっても3)をあきらめなければモチベーションは維持され~
 鋭い指摘があったので、これに触れてから。↑の文で気づいたんですけど、実現困難か
否かというのは、当人にとってであって客観的な事実ではないんですよね。今回の記事だ
けだとその辺り説明不足のような気がします。

 本題に入ると「人生に期待しない生き方」というのはブッダの考え方に近いです。僕は
ブッダの本を読んだことはなくて、高校の倫理で少しやっただけなので的外れなことを言
う可能性もありますが、あえて続けるとブッダは人生の苦悩の原因は煩悩である。と考え
たんですよね。煩悩とは実体なきものに集中する愛。つまり、今回の記事と対応させると
煩悩とは「欲望の機構」を指します(この辺り怪しいですが)ブッダの思想でなく僕の考
えを挟むと、煩悩(「欲望の機構」)は欲が満たされても消費され、飽きてくるものだし
そもそも満たされるものとは限らない。結局、人間の欲は底がなくいつまでたっても完全
に満足できない。これは僕の勝手な解釈ですがね。ブッダに戻るとブッダの説いた教えは
四諦・八正道である。四諦とは苦諦:人生は確かに苦である 集諦:苦の原因は煩悩にあ
る 滅諦:だから苦の原因をすべて滅ぼし、苦悩の消えた涅槃を実現することが理想の境
地 道諦:苦を滅する道は八正道の実践である。(倫理の参考書読んで書きました)
 八正道については・・・書くと長くなりそうなのでやめますねw
 
 ようするに「何に対しても期待しない生き方」というのはブッダの苦の原因である煩悩
を滅ぼすという考え方に近いのではないかと思います。三太郎さんの理想とするところも
「煩悩にとらわれずに生きる」と言えるのでは?

 それに対して僕は煩悩にとらわれて生きたいですwこれは人生観の違いなので、どっち
が正しい間違ってるの問題ではないです。最終的には好き嫌いの問題だと思っています。
「欲望の機構」をどう回していけば、人生にとってプラスになるか日々もがいています。
2006/ 06/ 15 (木) 21: 00: 40 | URL | ぶらうざ # 3xs9owas[ 編集 ]
[原因が分からなくても?]
ぶらうざさんの「無気力論」、なるほどなぁ、という思いで読ませていただきました。
色々思うところがあったので、私も勝手に意見を述べさせていただきます^^

「無気力の原因」ということを私なりにまず考えました。今まで、私は躁鬱患者として「無気力」という状態を鬱状態と読み替えて「あ、脳内のセロトニン不足」ね、と、単純化して考えてしまっていました。でもぶらうざさんの記事を読んで、はっと気づかされました。セロトニン不足は、鬱の「原因」ではなく「症状」だ、と。

脳内のセロトニンを増やす薬を投与すれば鬱が改善する、だからといって、セロトニン不足が鬱の原因なことにはならないですよね。セロトニンが不足するに至った原因があったはず。その原因はいろいろあって分からないけれど、それを改善することもやめてはならないのだなぁと思いました。思考停止から救ってくださってありがとうございます。

* * *

> 本当に欲しいものが見つからない、もしくは本当に欲しいものが自分には手が届かない、と絶望すると人間は無気力になるんじゃないだろうか。
面白い意見だと思いました。私も実体験としてあてはまります。例えば、幼い頃から自分のやろうとすることが否定される、という経験を繰り返し学習した結果、無気力な人間になったのでは?と思っています。

ところで、(言葉尻かもしれませんが)欲しい「もの」という表現が気になりました。モノは手に入ったら消費します。でも目標が「こと」だったら?モノは有限だけど、コトは無限。。。。
例えば「美しくあること」を目標にすれば、一生涯完璧に満たされることはないけれど、ずっと追い求める状態は続くから無気力にならないかも・・・??

* * *

で、次に思ったのが、無気力の原因が分かったら、気力が生まれるのか?ということで。。。私の場合は、あまり原因にこだわらないタイプかもしれません。というか、論理的思考が苦手なので鶏が先か・・・ってぐるぐる廻ってしまうんです^^
たまたま何かの拍子に欲望の機構がまわりはじめたら、原因は分からなくてもまぁいっか、と思ってそうです。風邪をうつしたから治った、それならまぁいっか、そんな感じです。これは性格でしょう^^

ぶらうざさんの記事を読んで、風邪薬だけに頼ってちゃだめだ、生活習慣も変えないと、って思いましたw
2006/ 06/ 16 (金) 01: 49: 10 | URL | necox # B4pvQVOw[ 編集 ]
[セロトニン不足・・・]
necox さん、こんにちは。

>セロトニン不足は、鬱の「原因」ではなく「症状」だ、と。
というのはその通りで
>セロトニンが不足するに至った原因
を治すことが本質的な解決ですよね。

>風邪薬だけに頼ってちゃだめだ、生活習慣も変えないと~
というのはうまい比喩ですねw

ただ、理屈で原因を理解するだけではなくて
実際にtry&errorで実行することが大切で・・・

>で、次に思ったのが、無気力の原因が分かったら、
 気力が生まれるのか?ということで。。。
>私の場合は、あまり原因にこだわらないタイプかもしれません。
>たまたま何かの拍子に欲望の機構がまわりはじめたら、
原因は分からなくてもまぁいっか
>と思ってそうです。風邪をうつしたから治った、それならまぁいっか、そんな感じです。

結果的に治ってしまえばいうことはないですよねw原因が分からなくても。
僕も自分の状態がよくなる指針とするためにまとめた面もあります。
理屈で終わっちゃ意味ないですから、僕にとっても。

>ところで、(言葉尻かもしれませんが)欲しい「もの」という表現が気になりました。
>モノは手に入ったら消費します。でも目標が「こと」だったら?
>モノは有限だけど、コトは無限。。。。

「もの」ってこの場合広い意味で使ってて目に見える”もの”からイメージとしても”もの”まで含まれます。(この分類はnecoxさんが意図した区分と違うかもしれません)
一単語で済ませようとしたけど、「モノやコト」って書いたほうが正確かもしれません。

イメージとしての”もの”も例えば「金メダル」をとるとか達成されてしまえば消費さ
れる(目標が消失される)と考えます。
その話と・・・・・

>例えば「美しくあること」を目標にすれば一生涯完璧に満たされることはないけれど、
>ずっと追い求める状態は続くから無気力にならないかも・・・??

この美容の追求の話は記事の4行目のリンク先で三太郎さんがうまく説明してくださって
いるので良かったら読んでみてください。(もう読んでたらごめんなさい↓)

本記事がなんらかのいいきっかけを与えていたら嬉しいです。
セロトニンの話は僕にとっても新しい発見でなるほど~と思いました。
2006/ 06/ 16 (金) 02: 41: 32 | URL | ぶらうざ # 3xs9owas[ 編集 ]
[ぼくのは…]
もっと抽象的ですが…(>_<)
トラックバックしてるはずなのでぜひ(^^)
2006/ 07/ 31 (月) 23: 32: 12 | URL | ☆ひさや☆ # -[ 編集 ]
[はじめまして]
ミスチルファンの方ですか?よくこんな過去の記事見つけましたね。検索からかな?
トラックバック先、行ってみます。
2006/ 07/ 31 (月) 23: 42: 34 | URL | ぶらうざ # 3xs9owas[ 編集 ]
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こんにちわわ。☆ひさや☆です。兵庫県在住の大学生です(^^♪今日は、ブログの本格的な記事として…ぼくが、一番好きなアルバムのレビュー(出会い 思い入れ)をしたいと思います(^^)Mr.Children It's a Wonderfulworld
2006/07/31(月) 23:35:28 | ぼくのふぁんくらぶ。出張版ver.fc2
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