絶望からスタートするブログ
基本的に独り言です。自分による自分のための言葉です。気分を害される方は読まないことをお勧めします。あなたの気を悪くすることは僕の本意じゃないので。
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2006年 05月 30日 (火)

前回の記事を書いてたら昔のことを思い出した。

そういえば、遺書を書いたことがあった・・・・

 僕の人生は樹海を彷徨っているようなものだったけど、あの時の絶望感はまた違った。普段が昼間の樹海なら、遺書を書いたときは夜も更けて真っ暗だった。
 明るいうちならいつか出口が見つかるかも・・・・そんな希望を持てたが深夜の樹海は、いるだけで怖かった。抜け出せるなんて発想は消えた。

 食事もろくに喉を通らなくなり、水がとにかく欲しくなった。喉が渇いていた。「死にたい」ってのはあったけど、はじめて本気で「死のう」と考えた。早く人生を終わらせたかった。なにもかも沈んでいた。呼吸すら疲れた。
 決意して大学ノートに遺書を書き始めた。思考はまとまらず、重く澱んでた。「両親は悲しむだろうな」「葬式、友達少ないから痛々しい」「人を集めるために親しくない人も集めるのか?葬式で笑われてるだろうな」自分で命を絶つことすら、まともにできない。一層悲しかった。
 遺書を書き終えると疲れて、ベッドの上でうずくまった。どうやって死のうか?死ぬのも案外面倒だ。身体にエネルギーは残っていない。ひたすらうずくまっていた・・・・・
一瞬、ほんの少しだけ精神が上向きになった。これは生か死かどっちに対する意欲か覚えていない。その少しのエネルギーで、遺書を読み返してみた。
 苦笑した。
 馬鹿馬鹿しかった。こんなもの他人に見せられない。 詳しい内容は記憶から抹消しているので覚えてないけど、恐らくこんな感じ

 昨日、3回転びました。
 こんな年になって3回も転ぶなんて、普通の人間ならありえません。
 思えば人生を歩くこともろくにできませんでした・・・
 ・・・・・・

 こんな遺書残して死ねない。両親が見たら失笑ものだ。ビリビリに破いた。新しく書き直す気力もなく、疲れてそのまま眠りについた。

 翌日、目が覚めたら「1度自殺を考えた人間は立ち直ったら強くなれる」「死まで考えたら怖いものはない」とどっかで聞いたことを自分に吹き込んでなんとか立て直した。別に強くなれてないし、怖いものは沢山あるけど・・・

 ここまでの内容で「俺は実際『死のう』って考えたんだ!『死にたい』くらいじゃ大したことじゃない!」って意図を感じた方がいるかもしれないが、僕が言いたいのは真逆。
 自殺未遂を図ったら、周囲の人は一大事だと反応する。でも、「死にたい」って呟くこと、いや心の中で呟くくらいなら、周りは「みんな辛いけど、生きてるんだ」と説き伏せるかもしれない。
 「死にたい」って思う人は実際自殺する意思はなくとも、人生を悲観視しているのは同じ。
そういう人達に必要なのは
「死ぬ権利はない。生きることは義務だ!」
「生んでくれた親に申し訳ないとか思わないのか!」
ってメッセージじゃなくて死ぬこと、生きること両方の選択肢のなかで
あえて生きることを選んでもらう状況をつくることじゃないんですか。

 書いてて、自分の立場が分からなくなってきた。僕が死にたいって思う人間で「生きる」選択肢を自分で選んだって言いたくてその願いを何かにゆだねて、書いたのかな。
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