絶望からスタートするブログ
基本的に独り言です。自分による自分のための言葉です。気分を害される方は読まないことをお勧めします。あなたの気を悪くすることは僕の本意じゃないので。
--年 --月 --日 (--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2006年 05月 29日 (月)

 昼の某情報番組で杉村議員がブログに自殺について書き込んだ内容が代ゼミの吉野講師の著書の盗作ではないかという件のニュースをやっていたときに

コメンテイターのテリー伊藤が
「かるがるしく自殺とか言うな!」
とかいうような主旨のことを言っていた。

 僕はこの発言にムッとした。
「かるがるしく生きろとか言うな」直情的に思った。

 テリー伊藤さんは放送作家として、成功しているし、もちろん苦労されていることや悩むこともあるだろうけど、今の人生認識として「今後も生き続けること」が自明で、「自殺する」って選択肢は論外なんだろう。
 もちろん、下積み時代など今よりもっと苦労して人生を嘆いた時期もあっただろう。でも真剣に自殺を考えている人と同じ人生認識に立って考えたことはあるのだろうか?
 
 これは一般的ではなく、僕が想定する特定のケースだけど、自殺を真剣に考えてる人と自殺を安易に止める人の間に、自殺志願者の人生認識について差があるんじゃないだろうか。
 自殺志願者が人生を地獄だと考えていて、自殺を安易に止める人が自殺志願者を戦後の日本のようだと思っていて。自殺志願者がこれから先に焦熱地獄や阿鼻地獄の世界のようなを想像しているけど、止める人は今は戦後の焼け野原だけどこれから復興して明るくなるイメージを持っている。ここら辺の認識が食い違わない?絶望している自殺志願者の未来が戦後の日本復興、経済成長みたいになる保証はどこにある?
(戦後の日本の経済成長が本当に明るいかは別。そう想定したたとえ話)

 テリー伊藤の発言を先の特定ケースに勝手にあてはめて反感を持ったが、少し頭を冷やして考えるとテリー伊藤がどういうケースを想定して喋ったか分からない。もしかしたら杉村議員特定の話かもしれないし、本気で自殺について考えてない人が対象かもしれない。
(僕は自殺したくてそれを表現した人全般だと解釈したが)
 さらに、僕はテリー伊藤にどういう思想の背景があるのか知らない。彼の著作や今までの発言をもっと知れば納得できるかもしれない。

 ということでこの発言の是非を保留したら、その後僕の思考回路は
「もし身の回りに自殺志願者がいたらなんて言えばいいだろうか」
というテーマに移っていった・・・・・

 もちろん自殺にもいろいろあって、前途に希望があるのに一時的な鬱状態の衝動で亡くなった人も、死で何かを表現したくて芸術的な意図で自殺を選択した人もいるだろう。

 でも一番深刻なのは、これまで必死に生きようと何度ももがいて、それでもうまくいかなくて
「これから生き続けること」に絶望を感じている人だと思う。こういう人に僕が言える言葉は?

「今は辛いかもしれないけどこれからもっといいことがあるさ」
 
 この言葉は何の保証があって言える?気休めでも生きてもらったほうがいい?「死にたい」って思う人は何度も絶望して、八方塞の状況でも?さらに生きてやっぱり人生が辛かったら、何て言う?僕の人生も未来が明るいか分からないのに。

「あなたが死んだら悲しむ人が沢山いる」

 この言葉を聞いて、周囲の人を悲しませたくないと自殺を思いとどまるかもしれない。でも、本当に自殺志願者の感情を配慮した言葉?周りの人は自殺することに悲しむけど、本人の気持ちは?周囲が悲しむから、本人は嫌でも生きなきゃいけないの?それは、お前らのエゴだよって言われたら僕は反論できる?

ここまで書いてたらよくある(たぶん)漫画やドラマや映画の場面を回想した。
-----------------------
自殺志願者がビルの屋上から身を投げ出そうとしている。
ビルの屋上に来たそれを止めようとする人。
「ここで人生終わらせていいのか?」
「もういいよ。もう決めたことだから。」
衝動的に飛び降りる自殺志願者。
しかし、何かに引っかかり、落ちずに済む。ビルの高い地点で留まる。
「死にたくない!怖いよお。まだ生きたいよお。」
「分かったか?死ぬってそういうことなんだ。今から助けるからな」
そして、自殺志願者は救助される・・・・・・・
-----------------------

 こういうストーリーの制作者は恐らく自殺を止めようとする人に感情移入している。僕には楽観的な発想に感じてしまう。僕が脚本家なら
----------------
衝動的に飛び降りる自殺志願者。
しかし、何かに引っかかり、落ちずに済む。ビルの高い地点で留まる。
「人生って最後まで邪魔するんだな」
「最後の邪魔も終り。ようやく死ねる」
やはり飛び降りる志願者。
地面には肉片が・・・・・
-------------------
こんな脚本を書きそうだ。我ながら暗い。

 理想としては自殺志願者の人生認識、過去、世界観を本人並に理解して、本人が納得して実行できる「人生再生プラン」を提示できればいいと思う。だけど僕自身、絶望から抜け出してないのに他人の人生を再生できるプランなんて到底考え付かない。
 だから、何度か「死にたい」って思った僕が現状から這い上がり、誰かにも応用できる「人生再生プラン」を実践できたらいいなって願望がある。今は夢の夢の話。

 現時点で身の回りの人に自殺志願者がいたら、「人生再生プラン」を提示できる人を探すってことになる・・・・いやそうそう見つからないだろう。「僕は未来は不安でも生きています。一緒に生きてみませんか?」このくらいのことしか言えないだろうな。幸いなことに知人で自殺未遂者はいない。

 追記では、本気で自殺を遂行しようとしてる人を対象に書いてきた。ただ「死のう」ってレベルだけじゃなく「死にたい」ってレベルの人も結構深刻だと思う。

長くなったのでその話は次回。

スポンサーサイト
Comment
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL :
コメント :
パスワード :
秘密 : 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
copyright (C) 絶望からスタートするブログ all rights reserved.
designed by polepole...

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。