絶望からスタートするブログ
基本的に独り言です。自分による自分のための言葉です。気分を害される方は読まないことをお勧めします。あなたの気を悪くすることは僕の本意じゃないので。
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2006年 09月 24日 (日)

 この記事は前に書いた究極の疑問の続きです。自分なりの考えがまとまりました。まえの「究極の疑問」でkenさんからコメントいただいて、そのコメントとまた違う結論なんですけど、似たような概念を別側面から捉えているという感じなのかな。

 
 「疑問に答えをだすこと」は”理解できない概念”を”理解できる概念”にすること。

 あー、たぶんこの記事うまく言語化できない。僕の表現能力だと。感触はつかんでるんだけど。正しいかどうか?分からない。自己基準で納得した話ということで。続きを読む以降でその感触をできるだけ書き記せればいいなあ。

「疑問に答えをだすこと」は”理解できない概念”を”理解できる概念”にすること。

世界観という表現は荒っぽい気もしますが、↓ 他にうまい表現が思いつかないので

疑問というのは世界観のなかでうまく認識できない(うまく位置づけ、秩序づけできてない)概念で答えはそれを認識できる(世界観のなかで位置づける)ようにすること。

 
2通りの表現をしたけど「理解=認識できる=世界観でうまく位置づけ」という意味合いです。結局この記事では最後まで厳密に疑問→答えの流れを書き記さないことにしました。厳密さを求めるほど、遠ざかっていきそう。僕の言語表現能力だと。

 例えば、急に自宅に見知らぬ人がきて、身に覚えがない100万円を手渡しされ「これ、お礼です」と言われ、去っていったら、多くの人が不可解に思うだろう。え、なんで?なんのお礼?世界観のなかでうまく認識できない事例の出現。疑問の発生である。

 やったーラッキー、100万もらえてよかった!(こういう人は少数派だと思う)

 これ、偽札で自分に押し付けられたのかな?
 家の同居人(家族など)宛てなのかな?
 新手の詐欺?

 これは通常の自己の世界観(この表現語弊ありそうだけど)で「見知らぬ人が急に家に来て100万くれる」ことがありえない事柄だからだ。

 後から・・・・
 TVのニュースで偽札事件があって、証拠隠滅のために「これ、お礼です」といって配ってると報道があったら、まさにうちだ!と納得する。
 父親が帰ってきて「たぶん、あいつだ」と事情を説明してくれたら納得する。
 これが疑問の答えとなる。「理解=認識できる=世界観でうまく位置づけ」の具体例。

 だから、人によって、知識の体系によって、何に疑問を感じて、何を答えとするのか違ってくる。

 なぜ生まれてきたのか?
 
 
いやー母親が生んだんでしょ。精子が卵子と結合して受精卵になって、それから・・・
 これで納得できる人もいるけど、答えにならない人もいる。”生まれてきたこと”が不可解で・・・受け入れられない?うまく位置づけ、秩序づけできてないとは書いたけど、ケースによって受け入れられないことだから疑問に思うケースもあるのかな。前者と後者似てるけど、ちょっと性質が違う気がする。後者の場合は「なぜ自分だけ不幸なの?」とか、そのような類なのかな。
 生まれてきたことを特に疑問に思わない人は、自己の世界観の中で自然に収まってる感じ。(また語弊がありそうですが) 生まれた理由の答えもそれぞれの世界観の構造、秩序、体系、でどう納得できるか違ってくるのだろう(具体例書こうとしたけどキツかったから逃げた)

 なぜ勉強しないといけないのか?(学校教育、受験の場合の話)

 
将来、一流大学一流企業に入るためとう答えで納得する人は、学校教育のシステムの是非より、自分の進路がどうなるかが重要で、教養を身につけるためという答えで納得する人は「教養を身につけることが正しい」と前提があって、学校教育がその前提に適合してるから納得したのだろう。「我慢を覚えるため」で納得する人は道徳的な意味付けが為されれば納得する世界観で、学校が”道徳的向上”を提供してくれたと捉えられるのでしょう。だいたい。

 ここまで、世界観って言葉を使ってきたけど、認識体系、認知体系、認知構造といった言葉のほうが適切かな?

 あ、なんかまとまってきた。疑問答えの流れは各人の認識体系、認知体系、認知構造でうまく消化(理解)できないことが疑問となって、うまく消化(組み込めたり)、新たな概念として付け加えられれば、答えして納得する。まあ、このまとめに確信はないw ただ、この文章をその考えで説明するなら、。疑問答えの流れが何かってことが僕のなかでうまく理解できなくて、このまとめで僕の認知体系に組み込めたということか。

 この記事まったく役に立たない思考だと思ってたけど、意外と・・・疑問→答えは自分がどのような認知の仕方をしているのか示す断片的な鏡になるかも知れないって思うからなあ。

 幼い子供がなぜ、どうしてと、やたらと疑問を連発するのはまだ世界観があまり出来上がってないから、世界を捉えようとしている活動の現われ、かな?


 この長い文章を最後まで読んでくれて、分かりにくかった方。ごめんなさい。現時点での僕の文章表現の限界です。
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Comment
この記事へのコメント
[]
こんばんは。
名前まで出して貰って・・・。認めて貰う喜びでしょうか。

ぶらうざさんの書き方で、僕の考え方を示すと「仮定→疑問→確定」、になるのかなぁ?と・・・
仮定が無いと、なぜ?どうして?の疑問が出てこない気がしますけど、どうでしょうね?

なんか?が多くてすみません。

また来ますね。
2006/ 09/ 24 (日) 22: 53: 07 | URL | ken # -[ 編集 ]
[]
>僕の考え方を示すと「仮定→疑問→確定」、になるのかなぁ?と・・・
>仮定が無いと、なぜ?どうして?の疑問が出てこない気がしますけど、どうでしょうね?

そうですね。仮定というより、見当。「見当→疑問→確定」くらいにしてみるとどうでしょう?

ここからは半分独り言です。覚え書きです。
あと、この記事書き終えてからkenさんのコメント読んで思ったことがあって。補足するのは、面倒だから書いてなかったところをちょうどkenさんからコメントもらったので書いてみます。
僕はこの記事で

>疑問→答えの流れは各人の認識体系、認知体系、認知構造でうまく消化(理解)できないことが疑問となって、うまく消化(組み込めたり)、新たな概念として付け加えられれば、答えして納得する。

という感じでまとめてますけど、僕の記事で触れてるのはは割と受動的な疑問のイメージ、認識してる世界であれ?なに?という感じでの場合ですが、kenさんの前のコメントにあった

>疑問という物を僕なりに考えると、まず仮定とも言える漠然とした答えが出るのではないか?と考えます。それを例えば、目的や目標として捉え、そこへ向かっていく過程が方法論で、これこそが疑問の根底にあるのでは?と思います。

これはもっと能動的?な疑問のイメージで各人の認識体系で「これについてもっと知りたい」「これが分かったからこれも分かるんじゃないか」という感じで各人の認識体系にうまく消化(組み込めたり)、新たな概念として付け加えられすることもあるのかな~と思いましたね。

ここの話は、僕の記事の視点からkenさんのコメントを勝手に解釈した部分で、「仮定→疑問→確定」というのもまた違う大枠として扱えるように思います。

また、きて下さいね。
2006/ 09/ 25 (月) 01: 26: 04 | URL | ぶらうざ # 3xs9owas[ 編集 ]
[読み返すと]
>>僕の考え方を示すと「仮定→疑問→確定」、になるのかなぁ?と・・・
>>仮定が無いと、なぜ?どうして?の疑問が出てこない気がしますけど、どうでしょうね?

>そうですね。仮定というより、見当。「見当→疑問→確定」くらいにしてみるとどうでしょう?

なんかすごい的外れなこと言ってますね。自分の記事を書いた頭が残ってて、誤読してました。仮定がないのになぜ?どうして?が出る理由でしたね。間隔空きましたけど思いついたことを書いてみます。

「仮定→疑問→確定」このパターンは”理解できないこと”の周辺情報が見えたり、過去に分かったことから新しいことを導き出そうという、思考の流れの疑問で、
「疑問→確定」って頭から疑問なのは、不意打ちというかw 別に今までの流れから予測しなかったけど、突如現れた問題という気がしますね。

僕の上のコメントの独り言もそれと近いこといってる・・・でしょう。
2006/ 09/ 27 (水) 01: 04: 34 | URL | ぶらうざ # 3xs9owas[ 編集 ]
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