絶望からスタートするブログ
基本的に独り言です。自分による自分のための言葉です。気分を害される方は読まないことをお勧めします。あなたの気を悪くすることは僕の本意じゃないので。
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2006年 08月 13日 (日)
全国でも数少ないいつも当ブログを読んでくださる皆様(以後、ヘビーリーダーとします)へ

 管理人の諸事情により9月上旬まで更新停止いたします。
 なお自分のブログは停止しているのもかかわらず、
 皆さんのブログにお邪魔するかもしれません。
 ご了承ください。
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2006年 08月 13日 (日)

 自分の希望がみんなから認められ、みんなから応援され、肯定され、みんなの協力の中で精一杯頑張って、うまくいく。みんなが幸せになる。

それは理想だ。その状態になればいい。でも、必ずしも理想通りいくのかな。

 だれを傷つけたくなくても、結果的に傷つけるかもしれない。期待に沿えないかもしれない、他人の期待にも自分の期待にも。

そうならば夢の跡に何が残る? 
自信を喪失した自分?
結果、自分も報われることなく、傷つけてしまった罪悪感。
わがままだったことへの羞恥心。

だったら希望などなくてもいい。
協調性だけ考えて生きればいい?

その選択肢も選べないらしい。生きる気力がなくなるから。死刑すら望むから。

混沌とした基準・・・・誰が喜んで誰が悲しんでいいことなのか悪いことなのか
                   うまくいくのか   いかないのか

自分と希望を結ぶ直線。ちょっと遠くから眺めれば混沌の渦にまみれすぐぼやけてしまう。

悪人に思われても、罪悪感を感じても、直線を見つめて生きたい。

生まで混沌のなかで失速してしまうから。
2006年 08月 11日 (金)

 この記事は花火を楽しんでいる方に水をさすひどい文章かもしれません。
 タイトルから嫌な予感がされた方は続きを読まないでくださいね。
2006年 08月 08日 (火)

 絶対的な正しさなんてない。しかし、絶対的な正しさなんかなくて、正しさは相対的なものだ・・・・ということ自体、「絶対的な正しさなんてない」ということを「絶対的に正しい」と信じている。だから、「絶対的な正しさなんてない」ということを絶対的に信じることもできない。もう何を信じていいか、わけが分からない。

 皆さんは↑の文章について、どう考えますか?

 興味と暇がある方は考えてみてください。
 さらに興味と暇のある方、[続きを読む]で僕の考え方を読んでください。ちなみに長いです。
2006年 08月 08日 (火)


 ふとしたことで「絶望からスタートするブログ」の英訳を考えてみました。

1 a blog starting from despair
2   a blog to start  from  despair
3    a blog  from  despair to start
4   a blog to start from despairing

僕の乏しい英語力では
1~4の中に正解があるのかすら分かりません。

誰か英語詳しい方、教えてくださいm(_ _)m.
2006年 08月 05日 (土)

「旧連鎖ゲーム」

参考:1、2、3、4・・・・・・・(N-1)、N、(N+1)、(N+2)・・・・・
※Nは任意の自然数。

ルール
0.まず、あなたはNになる。
1.(N-1)はNにとって親で、Nは(N-1)にとって子である。
2.Nは、(N-1)の世話にならければゲーム続行できない。よって(N-1)に感謝し、
  終始、(N-1)の意向、期待に沿うようにゲームをプレイしなければならない。
3.Nは(N-1)の期待に沿って(N+1)を生成する。
4.Nは未熟な(N+1)を自分の理想のプレイに合うよう指図する。世話をしたNに
  感謝するようにさせる。(N+1)が理想通りになると満足する。
5.Nは(N+1)に(N+2)を生成させる。

1.~5.を何世代も繰り返す。
1~∞間の別の任意の自然数Mに着目すると1.~5.のNと同じことが起こっている。


 僕は「旧連鎖ゲーム」が好きではない。一世代のNに注目してみよう。好きなようにプレイしたいのに(N-1)に指図され、自分が好きなようにできない代わりに(N+1)を理想通りにコントロールする。つまり、ずっとNがNとして好きなようにゲームできない。


 僕は「新連鎖ゲーム」のほうがいいな。

「新連鎖ゲーム」
ルール
0.まず、あなたは任意のNになる。
1.(N-1)はNにとって親で、Nは(N-1)にとって子である。
2.Nは、(N-1)の協力を受け、好きなようにゲームをプレイする。  
3.NはNの意志で(N+1)を生成する。生成された場合のみ、4.に進む。
4.Nは(N+1)が好きなようにプレイできるように協力する。
5.Nは(N+1)に(N+2)を生成させるか、任せる。

1.~5.を何世代も繰り返したり、途切れたり。


これだと、NがNとして自分の好きにプレイできるから。
2006年 08月 04日 (金)

 「たいしたことないですが」というが
 
 本当にたいしたことないと思われたくない
2006年 08月 02日 (水)
※はっきり実名を出さないところは検索対策だと察してください。

 今日、テレビで某ボクサーの試合が放映される。テレビはキャラクターと戦績が好意的に
報じられ、彼を盛り立てている。でも、某匿名大型掲示板などのネット世論では、叩かれている。今までの相手は弱い相手ばかりだったのではないかとか、八百長があったのではとか、世界戦までの経緯が怪しいとか。そのあたりをよくまとめているブログ記事(マスコミの過剰な煽りと1部で行なわれている祭り:大学生が社会について色々書くブログ)を見つけた。

 彼の人気は”生意気”とも見られるインパクトのあるキャラクターにある。マスコミの報道もあって普段ボクシングに関心のない人も惹きつけた。しかし、ボクシングという競技を愛するファンには、強い者が勝って称賛されるという競技性を、作為的に歪められることに嫌悪感を持つ人をいる。堅苦しく書いたけど、要は、実力も未知数なのに、弱い相手とばかり戦ってランキング上げて評価されてるのは、おかしいという意見。真面目にコツコツ、ランキング上げてる人もいるのに。僕も、ボクシングの評価秩序を狂わすことには反対。でも、某匿名大型掲示板などの彼への誹謗中傷には他に理由がある気がする。彼のキャラクター、チヤホヤされてることの妬み、は言いすぎか、嫌悪かな?そして、集団性。それもボクシングの競技性を守る世論としてアリなのかもしれない。是非は分からない。

 僕は彼のキャラは条件付きで好きだ。完全に個人的な好き嫌いだけど、彼のキャラは世間の批判があるなかで、正論を言い続けてるときにあのキャラならかっこいいと思う。でも、条件から外れてる。だから、好きでも嫌いでもない。
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