絶望からスタートするブログ
基本的に独り言です。自分による自分のための言葉です。気分を害される方は読まないことをお勧めします。あなたの気を悪くすることは僕の本意じゃないので。
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2006年 07月 30日 (日)

僕は考えを否定されること、恐れていた。
意固地になっても守り続けないと、何かが壊れる気がしたから。

でも、恐れる必要はなくなった。
どんどん否定されればいい。それを謙虚に聞けばいい。

否定意見を論理的な側面から、分析する。
どういう人格でどういう意向で否定しているのか、分析する。

そして、取捨選択する。
自分が一生懸命考えた意見、きまぐれの否定だけで、曲げる必要はないから。

否定されることで、考えは醸成されていく。

恐れていた否定。

不思議なことに否定されればされるほど
僕の考えは確固なものになっていった・・・
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2006年 07月 27日 (木)

 社会的に成功者と称される人が小学生に「自分に興味のあるものを見つけて、とことんやる。それが夢につながる。」みたいなことを言う場面を見て、そんなに好きなことで食ってけないでしょ、あなたは数少ない成功者なんだよ、と生温かい目で見てた。

 でも、最近「興味を持ってとことんやること」、大事かもしれないと思う。

 昔は、若者らしく(この表現が若くないけど)遊んでいた同年代の人達に対し、集団に馴染めず、孤独に意味不明な時間の浪費をしていた僕は、羨望と劣等感のどうしようもない感情があった。
 
 最近では、同級生が旅行、ドライブ、合コン、花火大会・・・・大学生っぽい?(ごめん、俺良く分からない)楽しい時間を過ごしているのを聞いても、楽しそうでいいね~って感じだ。良く言えば他人の幸せを喜べる、ということだけど実際は無関心になっただけ。経済的にも、対人関係も、面倒。だから、どうでもいい。金もないし、どうせ俺馴染めないしー。関心、興味、意欲、ない。

 そういえば、いつの間にか趣味がなくなった。高校時代から使ってたプレステは壊れた。映画も音楽も最近面倒で聴いてない。適当にテレビ観て、サイト巡って、煙草吸って、ブログ更新しているだけだ。別に趣味持っても金になんないし、将来に繋がることしようと思うと、どうでもよくなった。将来に役立つことだけしようと思った。でも、気が重くなって結局何もしない。無気力状態。無味乾燥な世界が広がっていた。

 だから、金になるとか、ならないじゃなく単純に好きなことに時間を費やすのも必要かな、そんな気がしてる。それが世界と自分を結ぶ命綱。このままじゃ、無機質な世界の前に立ちつくし、堕ちてゆくだけの気がする・・・・・・

 長々と書いたけど、一言でいうと「趣味を大切に!」
 それだけなんだけどね。
2006年 07月 26日 (水)

 もうすぐ敵軍が本土まで進攻する。戦線もここまできたか。もはや、資源も戦力も残っていないし、戦う準備もまったく整っていない。もう希望を捨てて、降伏すべきなんだろうか。

 数週間前はこんな事態想定していなかった。まさか、ここまで来るとは・・・・・

 計画的に、援軍、物資を支援していれば、簡単な戦争だったはずだ。それなのに、見通しの甘さ、計画性のなさ、ああ、首脳陣は何をしていたのか!もはや戦況は立て直せない。いっそ、降伏してしまったほうが・・・・しかし、降伏は我々にとって死を意味する。だとしたら、玉砕覚悟で応戦すべきなのか?ああ、もうミサイルが、もはやこれまでか・・・・・
2006年 07月 25日 (火)

誰かの優越感が、僕の劣等感で
誰かの集団への居心地の良さが、僕への攻撃性に転化する。

僕がいないほうがいい。
僕もいたくない。

利害が一致して別離すればいい話じゃない。

 
そうもいかないらしい。
自然という名の強制で僕はいたくもない集団に入れられ、
いなければいいと認定される。

仕方なく
僕は劣等を甘んじて受け入れ、下手に出て、
みんなの許しを乞うしかないらしい。

心の中では永久に来ない復讐の時を待ちながら。

 

2006年 07月 23日 (日)

 テトリスみたいに落ちてくるブロックを動かして、消して。それだけで楽しい。
 そんな風に日々の作業をこなせればいいのに。
 僕の現在の悩みって主にそこにある気がする。

 なぜだろ?
 テトリスと違って、うまくハマるとは限らないかな。テトリスの純粋なゲームじゃなくて、焦りを感じる他の要素が混ざってる? 僕はブロックをうまく操作できなくて、苛々するのか・・・・・

 そもそも、明確なブロックの形が見えにくい?曖昧なブロックを手探りで適当な箇所を探して、うまくハマったか、確認できない、そんな感じなのか。

 ブロックを放置しすぎて、ゴチャゴチャでどんどん修復が難しくなっていく焦りを感じる。それでも、操作するのが面倒で傍観してる。ゲームをリセットしたくなる。

 ブロックの山が悲惨な状況になっても、
 むしろ、その状況を楽しんで修復、消していけるよう・・・・・
 
 ・・・それができれば、今よりうまく生きれる気がする。
2006年 07月 22日 (土)

 ついさっきまで、自分のなかで狂気、攻撃性を感じた。

 部屋のテレビやパソコンを壊したくなった。
 窓ガラスを壊したくなった。
 壊したくなった。

 後々、面倒になるだけだと、理性が働いて実行に至らなかったけど。

 狂気と社会的に是認される欲望、
 法や社会常識という仕切り線があるだけで紙一重かもしれない。


 僕の狂気が合理化できれば、僕は動き出せるかもしれない。

  精神的に不安定だけど、冷静だ。不安定でもいい気がしてきた。

 あとは無作為な方向に噴出す水流を対象世界に水路を作って流してやればいい。
2006年 07月 21日 (金)
最近思ったこと。

自分の人生だから辛い。

 これだけ書くとなんか「他人の不幸は蜜の味」みたいな、「他人なんか不幸でもいいいよ、別に。」って思われそう。それとはまた違う話。
 メンヘル系のブログで「死にたい」とかネガティブな記事に対して、励ましのコメントがつく場合があるじゃん。他の人のブログ読んだときは、ポジティブな方向のメッセージを書きやすいけどさ、自分がその境遇の場合はなかなか前向きな姿勢になるのが難しいってこと。だから、僕の場合はあまり「頑張ってください」とかコメント残さない(残せない)。他の人に「頑張って」っていうのは簡単だけど、僕が頑張るのはキツイから。

 話がそれるかも分からないけど、ホラー映画とかも観てる分には、”恐怖”を楽しめる。でも、自分がさ、殺人鬼や化け物に追われて殺される状況になるのは嫌でしょ?(殺してくれるならラッキーって人は別だけど)感情移入するにしても、劇中の人物が感じてる焦燥感、なんでこんな状況になったの?という被害者感情とか、不快でどうしよもない感情をフィルターでふるい分けて観てる気がする。

 主観に入ると辛えなあ、いろいろと。理性的な”答え”としては前向きな方向に頑張ればいいんだろうけど、他人の事ならそれを考えられるけど、前向きな面倒くさい作業をやる当人としては・・・だるいなあ。

 真摯に人生に向き合う、僕には胃に穴が空きそうな苦痛な作業だ。適当に人生に向き合う、先行きが不安だ。楽しく人生に向き合う、誰の話?

 苦し紛れ気味の結論、透明人間になりたい、いい意味で。主観を消して対象世界の認識のなかで自己を把握する・・まあ、こうやって観念上で問題を解決してもねえ。

 この文章、率直に書いてたら、いつになく口語調になりましたね。
2006年 07月 20日 (木)
率直に、言いたいことは言うべきだ。
                但し、場の空気を読んで。
                但し、相手の気持ちを考えて。
                但し、今後の人間関係考慮して。

率直に、やりたいことはやるべきだ。
      但し、安全にね。
      但し、計画的にね。
      但し、コストを意識して。 

率直に、生きるべきだ。
      但し、義務もあるらしい。
      但し、後から面倒にならないように。
      但し、思い通りにいかないよ。
      
 
但し書きを意識しすぎて、もはや率直じゃなくなってる。
2006年 07月 19日 (水)
僕のes(リンク先:ウィキペディア(自我))へ。

 君が期待してること、すぐ叶えるのは難しい。
 君の望み・・・価値のある知恵、大学生活という幻想、素敵な彼女、快適な部屋、笑みがこぼれるような資産もしくは収入源、通じ合えて刺激を受ける仲間、空想を満たす作品・・・・・etc。

 僕だって、なるべく君の望みは叶えたいと思ってるんだ。でも、君だって我侭じゃないか?欲しい欲しいばっかり言うくせに、困難な道のりがあると知るとすぐ拗ねる。君がそんな態度だから結局君が欲しいものは手に入らないんだよ。君は僕に喜びを与える存在だと信じたいけど、いままで結果的に僕を苦しめてきた。手に入らないものばかりねだるから、僕はこの世界が取るに足らないものだと映るんだ。もっと、現実を見なよ。手に入るもの/入らないもの、区別してよ。手に入るものだったら、僕だって頑張ってプレゼントするからさ。

 だいたい分かってきただろう?そんなに簡単に手に入らないって。だから、君も張り切りすぎないで。そんなにエネルギーは要らないよ。少しずつでいいから。毎日、少しずつ動き続けるように。その方が君のためもになると思うよ。

 ごめん、怒った?説教っぽくなったね。でも、本当は君の事嫌いじゃないよ。嫌いなのは僕。正確には僕の能力。君の望みを全然叶えられないからね。それと世界。君がせっかく素晴らしいアイディア持ってるのに、世界は答えてくれないから。君のエネルギーがうまく反映される世界だったらいいのにね。でも、そうじゃないらしい。

 今までお互い傷つけあってきたけど、これからは仲良くやっていきたいと思ってる。それが君のため。僕のため。しばらくは安定した少しずつのエネルギーをください。些細なことで満足してください。いつか、約束はできないけど、いつか君が本当に喜ぶもの、手に入るように努力するから。手に入らなくても怒らないでね?途中で変わっても怒らないでね?僕の力じゃ世界を完全にコントロールできないんだ。

 でも、これだけは約束する。君の存在を忘れない。君のために努力する。
 これに対する返信。
2006年 07月 18日 (火)

 怖いもの知らず、何もかも恐れをなさないとか、度胸があるという意味で使われる。近い意味では強心臓。 「怖いもの知らず」もっと意味を考えてみると、怖いものを知らないから恐れない。怖さを知らないから怖くない、こういうこと?体操競技なんかで一度大怪我をしてしまうと、その恐怖が残って支障が出るらしい。

 ちょっと「怖いもの知らず」からズレるかもしれないけど、”ある事柄”について怖さを経験していなければ、もしくは未知の体験でそれが怖いっていう情報がなければ、”ある事柄”を恐れないはず。「怖いもの知らず」だと何もかも恐れないみたいだから、この場合「怖さ知らず」かな。

 忘却しようかな、怖かった記憶。逃げられることなら、逃げればいい。逃げられないことでも、どっちにしろ怖いなら、怖さを忘れていた方が軽減されるだろう。

 僕は臆病だけど、これからの経験に怖さを想像するのをやめる。事前に怖いって分かったからって、避けられないなら同じだから。恐れを感じるのはその時だけでいい。事前、事後には必要ないから。

 僕は辛いことが多すぎて、過去の記憶を沢山封印してる。案外、得意分野かもしれない。

 僕は臆病で怖がりなのは変えられないけれど、うまく忘れれば、”怖いこと”に遭遇してない時間「怖いもの知らず」になれるかもしれない。
2006年 07月 17日 (月)

 昨日の昼ごろ、26時間テレビにも飽きてきてチャンネルを回していると、NHKで将棋対局をしていた。将棋はさっぱりだけど、惰性で見てみた。
 意外と面白かった。過去みたときに、どこが終りなのか全然分からないのに投了したり、素人には意味不明な何手先も読んだ手を打ってて、さっぱりだった印象があった。けれど、今回は素人の僕でも、ここは飛車進めるしかないでしょ。とか、歩を打って守るしかないでしょ。とか、誰が指してもこうなるであろう平手については理解できた。僕がみた対局は150数手にも及ぶ長期戦だったから(たぶん大抵が100手程度以下で終わる)尚更面白かったのかもしれない。
 なんかためになった。もちろん僕とプロ棋士では何手先まで読めるかという将棋の基本能力が格段に違うのだけども、素人の僕が意識してない姿勢、発想みたいのを発見できたことが一番興味深かった。

1.根気強さ
 今回長期戦だったから尚更なんだけど、辛抱強く指してたことは解説の人も話してた。僕なら、もう一か八か早く決着つけてやる!って感じで自分の守りを後回しにして飛車を進攻させるところを、落ち着いて受けの手を指していた。プロ棋士といえども攻めたくて、ウズウズする気持ちはあるでしょう。しかし、勝負に真摯に向き合い、焦らず、守るときは守る手を指してた。

2.合理的な手(多様な利点)
 実はさっきの「守るときは守る」という表現、正確には語弊がある。僕はたぶん、攻めの手、守りの手と分けたり、目的が1点しかない手を指しそうだけど、棋士の方は1手でいろんな利点がある手。角を移動させて、攻めにも守りにも効かせる。歩の上に銀を移動させ、相手の飛車の守りにもなるし、攻めにも繋がる。一石二鳥どころではなく一石多鳥と言えるような手を指してた。

3.後々まで効いてる手
 プロ棋士なら何手先も読んでるのは当たり前だけど、僕にはその判断がつかない。僕に何手先も多様な展開を読む能力がないから。でも、だいぶ前に動かした角が後々の展開で効いている。すげー、ずっと先まで意味がある手だったんだな、と思った。何手先も読む能力+局面を意識してるから指せるのだろう。

 2.3.は特に指した瞬間に感じたことではない。解説や後々になって気づかされたことだ。当たり前だけど、将棋って奥が深いですね。

 今回勉強になったこと、これは人生にも通じるところがある・・・・とか安易には言えない。でも、きっと、僕のどっかでためになってる。
2006年 07月 15日 (土)

 僕が高校の頃、街で、金網で囲まれたバスケやサッカーのゴールなんかがある広い敷地があって、よくそこで遊んた。とくに3on3をよくやってたな~。でもバスケやサッカーだけじゃなく、いろいろなことをした。メンバーも身内だけじゃなくて、適当に集まったストリートの仲間も合流して。楽しい場所だった。まあ、思い出の場所ってやつだ。ところが、最近久しぶりにそこを訪れたらだいぶ変わってた。敷地が狭くなって、バスケのゴールだけ。なんか寂しい。

 今回は↑のようなイメージの話(そんな思い出ありません。ストリートって言ってみたかっただけ)

 僕が高校の頃、某匿名大型掲示板の「のほだめ板」によく行ってた。社会適応力、職場や学校の能力、対人関係、恋愛・・・自分でだめ人間だと定義する人が集まっていた。上にあった「無職・だめ板」が深刻なのに対し、その頃ののほだめ板はもうだめすぎるから逆に諦めて、まったりしましょう、といった空気に溢れていた。異性に声をかけられても、事務的に返答する・・・とか「もう諦めてひたすら目立たず生きましょう」という内容のテンプレがたくさんのスレに貼られてた。その頃は某匿名大型掲示板も今よりアングラ感があったしMMOやSNSが今ほど盛んじゃなく、そこへの依存度が高い場所だったと思う。僕も文字通りのほだめ板の住人になっていた。のほだめのどのスレを見ても自分のことを書いてる気がした。居心地のいい空間だった。僕の思い出の場所。
 でも、だんだんとまったりする場所じゃなく、だめさを深刻に表現する傾向が出てきて、胸に痛い書き込みが増えてきた。さらに、僕は自分のことを”だめ人間”と定義することに疑問を感じてきた。確かに自他ともに認めるだめ人間である。しかし、人間には多面的に評価する視点があって、だめな僕でも柔道が人より少し強かったり、メーリングリストで議論がうまかったり、取るに足らないことでも長所はあるのだ。いろんな視点があるのに自分で”だめ”と定義してしまっては、向上心が削がれて、本当にどんどん”だめ”になる気がした。だから、のほだめ板にだんだん行かなくなった・・・・

 先日、久々に「のほだめ板」を訪れた。あれ?近くに板が増えてた。「負け組」「モテない男」「孤独な男性」「もてたい男」・・・・「のほだめ板」から対人関係、恋愛のだめさを分化させてしまったら、経済的とか能力的なものしか残らなくない?「のほだめ板」自体もなんかしっくり来なかった。僕みたいにだめスキルフル装備の人間には昔のほうが良かった。カテゴリーを細分化したことで、話題を絞れるけど。だめな全体性がある場は魅力あったなあ。

 「のほだめ板」昔の方がよかったと思ってるのは僕だけ?
2006年 07月 14日 (金)

 映画や小説の主人公。途中、物語を盛り上げるため絶体絶命のピンチに見舞われたりするけど、最終的に大逆転でハッピーエンド、よくあるパターン。アクション映画の主人公は無数のザコキャラの発砲に当たらない。勧善懲悪がはっきりした戦闘シーンがある漫画、生死をかけた困難な闘いを繰り返しても主人公はなかなか死なない。

 これは作者という世界の創造神がいるからだ。主人公は神の意志によってハッピーエンドを保証されている。(場合によって殺されるけど)
 僕が生きている世界に神がいるかどうか分からない。だけど幼いころ、漠然と、道を踏み外すことはありえない気がしてた。困難なことは時間が解決して、いつか納得できる未来に必ず辿りつくと思い込んでた。根拠のない保証が・・・

 中学の同級生、ひとりは交通事故で命を亡くした。
                              ひとりは反社会的組織に入り、人生が狂うほどの犯罪を犯した。

保証なんてないんだね。想像した未来が来るとは限らないんだね。実際、今の僕は昔に想像した大学生活と違うよ。未来に夢を託すこと、その意味で切なくもある・・・・


だから面白い?だから悲しい?結果にとらわれてはいけない?失敗は成功の糧になる?人生が生きるに値する保証はない?分からないから未来は自分で創る?

・・・・・・・うまくまとまらない。

 
2006年 07月 11日 (火)

 だめだ、最近。

不安→現実逃避→現状悪化→不安増大の無限ループにはまってる。このブログ内では無気力状態を自己解決した風になりつつあるけど、現実はまったくダメだ。

向き合いたくない。現実と。
ため息、不安、無気力、不安、時間の浪費、不安、不安・・・・・・不安に押しつぶされそうだ。

どうすればいいのか考えてみるふりして、現実逃避を続けてた。
脳内でさえ、うまくいかないのに、それを実行に移してもうまく行く気配、一向にない。

悩んだ末に出た結論、
「脳内世界を突き破れ」

不安なままでいい。自信がないままでいい。精神状態が悪くてもいい。ただ、脳内で足掻いてる俺、脳内で不安に弄ばれてる俺、脳内世界を突き破って現実世界で動いてみないか?脳内で考えてること、可能で支障がない限り、表現して、動いて、足掻いて、動いて、動かして、動いて、動かしてみる。そして、思い通りに行かなくて、もがき苦しんで、悩んでみる、現実世界で。

脳内世界で悩んでる俺を現実世界に解き放って、さらに不安の中に突き落とそう。現実逃避って概念を消したい。現実と向き合うもなにも、はじめから現実世界にいるようにすればいいのだから。

・・・・・・とまだ脳内で考えてる俺がいる。
2006年 07月 11日 (火)

まずは言い訳から。この記事、村上陽一郎氏の意見とかぶるかもしれない。彼の本は読んだことないけど、彼の文章を読んで、僕が漠然と考えていたこと(これから書く)を明確に述べていた気がした。だけど、この記事の思考は僕が考えたことが偶然村上氏の考えと一致したのか、それとも彼の文章を読んで、自分の考えだと思い込んだか(パクリ?)昔の話なので曖昧で覚えてない。かぶりかもしれないし、パクリかもしれない。たいして読んでないからかぶってない可能性も。

環境破壊、環境汚染・・・・・この分野に疎い僕がこの言葉から連想される事例を考えてみる。
森林伐採、大気汚染、オゾンホール破壊、ゴミ問題、生態系への悪影響・・・・・

森が砂漠化する、大気が汚染される・・・・地球を擬人化させて『地球は泣いている』。こう表現する。本当に地球は泣いてるの?同じ地球を擬人化させるなら、森が砂漠化した状況は無駄毛処理だと思って喜んでいるかもしれない。煙草の煙が好きな人もいるように、地球は人間が大気汚染だと定義した大気の状況を喜んでるかもしれない。なんで極端な反例を出したか?人間が地球のためにと、問題を一般化しているけど、何が地球にとっていいか悪いか、定義してるのは人間じゃない?

僕は生態系の話に詳しくないけど、人間の活動である種の生物が減ったとしても地球にとって悪いこと?地球が誕生したときから、生態系は変化しつづけてるのでは?ある種の生物が減少したからって、人間の人を殺してはいけないってルールが食物連鎖で成り立つ自然界に適用されるの?地球自体、案外生物が多すぎる減らしてくれって思ってるかもよ。分かんないけど。絶滅する天然記念動物は保護すべきで、害虫は駆除すべき、何がいい生物で何が悪い生物か人間が決めたものだよね。

そろそろ結論。環境保全は「地球のために」とか変に問題を一般化しないで「人間が住みやすい環境のために」と言ったほうが(ここは完全に村上氏)論点がずれない気がする。住みよい環境のために、砂漠化や大気汚染や生態系への悪影響は困る。これで良くないかなあ。

「人間は地球環境を悪化させる存在だから、いないほうが地球のためにいい」って表現に違和感がある。何が地球環境にとって”悪化”か”良化”か、決めてるのは人間なのに。そして、その大半は自分達が住みやすいかどうかなのに。まるで汗っかきのA君が「汗っかきはクラスからいなくなればいい」と言って自己嫌悪してるよう。汗をかいて困るのは自分だけど、その定義で自分を苦しめることないでしょ。人間にとって住みやすい環境をつくる。それでよくない?

この話屁理屈ぽいけど、僕はこっちのほうが筋が通ってる気がする。そして、やっぱりパクリかもしれない。
2006年 07月 09日 (日)

「都会」は人工物で「自然」と対立したものとされる。自然の対義語は人工らしい。

 ってことは「都会」って「自然」と全然違うものなのか?よくよく考えて欲しい。あなたが今使っているパソコンの形は「自然」とまったく違うものかもしれない。でも人間が無から作った訳ではなく、自然を加工して作ったものだ。あなたが住んでるマンション(or一軒家orアパート)も天然の自然とは程遠い姿かもしれない。でも、幾重の加工の元を辿ればやっぱり自然からつくったものだ。

 人間は科学技術という手法・・・人間は数学や化学などは自然の運動を記号体系(化学式とか)に置換し、人間が把握しやすくする。その記号体系を自然をうまく置換したものに更新していく。自然をより把握できるようになれば、自然を加工しやすくなる。そうして、人間は自然を自分たちに利益があるものに加工していく。

 つまり、「都会」・・・高層ビル、道路、すべて、自然を人間が加工してできたもの。「都会」を「自然」と対立した概念として扱うのは人間を特別視しているからじゃない?

スズメの巣や蜂の巣のように・・・・・・
「都会」は人間が作った巨大な巣かもしれない。
2006年 07月 06日 (木)

「街を歩いていると、すれ違った人が笑ってる。自分のことを」
「周りの人に嫌われている/軽蔑されてる/バカにされてる」
ブログや掲示板でこういう文を見かける。

 逆に冷たい言い方かもしれませんが、相手はそこまであなたに関心があるとは限りませんよ?あなたからすると、注視されてバカにされているかもしれないですが、相手から見れば、全体の中の一人です。それほど気にしていないんじゃないですか。だいたい、街であなたの近くの人が笑っていたからって、あなたのこと笑ってると考えるのは短絡的です。その隣の人との会話で笑ってるんじゃないですか。逆に、関心を持たれている場合、悪意とは限りません。好意かも知れません。

 とにかく、一番言いたいのは実害より、その考え方で自分が傷ついてないですか?仮にバカにされていたとしても、深く考えないようにしましょうよ。そのほうが楽じゃないですか?

 ↑の話は一般論である。
 僕は非常に特殊なケースで、本当に嘲笑されている。街で一人で歩いて、僕とすれ違って笑い出す人の3割は僕のことを笑っている。僕は周りの人に引かれている。だから、なるべく存在を消すようにしよう。一人で受けた授業で前の女子2人が笑っていたのは、僕のことをバカにしている。
だから、なるべく人通りの多いところには行きたくない。あまり、他人の視野に入りたくない。迷惑をかけたくない・・・



・・・・・・・・どうなんだろう。本当のところは?
2006年 07月 04日 (火)

 長い下積み時代を経たミュージシャンがメジャーデビューし、大ヒットしたとき。厳しい練習をした高校球児が甲子園への切符を手に入れたとき。長い浪人時代の勉強の末司法試験に合格したとき。苦労が報われ夢が叶った瞬間。夢を切実に思い続けた人にしか分からない感動がある。

 でも、うまくいく人ばかりじゃない。そういう人にも醍醐味はある。

 惜しくも甲子園にいけなかった高校球児が試合後の夕暮れの球場に一人でぽつんと座る。(許可なしで入れるか分かりません)卒業後、思うような結果を出せなかった元サッカー部員が夜のグラウンドを訪れ、一人でシュートを打ってみる。夢破れたミュージシャンが誰もいないライブハウスでステージにのぼり眺めてみる、誰もいない観客を。
 寂しさ、切なさ・・・感傷的な気分に浸る。もう過去の事となった余裕のなかで。失意した当時は痛くて直視しがたかった悲しみ。今はじっくり受け止め、味わう。

 僕はもうすぐ22才になる。14~21才くらいか、青春と呼ばれる時期は。ちょっと古くて、青くて、若々しくて、エネルギーがあって、根暗な僕には到底似合わない言葉だけど。でも、なにか期待していた部分はあった。青春という言葉が意味するところに。
 青春には光と影があるらしい。僕はずっと闇の中にいた。現実を直視できなくて世界のリアリティすら失った。隣の人の光が眩し過ぎてキツかった。コントラストで僕の影が強調される気がしたから。結局、待ち望んだ夜明けはずっと来なくて・・・今に至る。もう僕には重すぎて要らない言葉。今なら他人の幸せを素直に喜べるかな?

 誕生日の日、ビールと煙草を買おう。ビールを飲みながら適当にテレビ観て、寂しく笑ってみる。テレビを消して、煙草を吸う。輝かしい時がないまま、22才になった事実を静かに受け止める。そして、ただ寝転がる。ぼーっと天井を眺めながら。過去を回想したりしない。痛々しくて辛いから。孤独に空虚な気分に浸る。もう終わったこと。もう過去のこと。

 その時の、寂しくて、切なくて、なんか感傷的な気持ち。心地いいものになればいいな。
2006年 07月 03日 (月)

 僕は”人間”が好きではない。とはいっても、周りは嫌いな人ばっかだからという意味ではない。人間は私利私欲を追求して争いあう。結果的にみんな不幸になる。なんて愚かな生き物なんだ!といった類の話でもない。

 正確には僕は人間という生物的なシステムがあまりいいものとは思えない。どこがって?

1.時間の経過とともにだんだん酸化し、最後は機能停止する。
 
だんだん老いていくって・・・どうせならだんだん身体能力が上がって最高潮のときに死を迎えるようにして欲しいw年を重ねることがもっとポジティブになるから。さらに、今の時間の感覚で寿命が1000年くらいなら、あまり後悔もしなくなりそう。10年くらい無駄にしても痛くないって。1000年がデフォなら時間感覚変わるかもしんないけど。

2.満たされない欲望
 
手に入らないモノも欲しくなる。そして、苦悩する。欲が満たされても、飽きてくる。欲望は生きる原動力だけど、扱いが難しい。欠落を埋めるイメージなんだよね、マイナスを0にするような。そうじゃなく0をプラスにするほうが幸せじゃない?(←これは一般論でなく僕の感性か)ともかく欲望不充足で不満って不安定なシステムだと思うな。

3.生きるためにコストがかかり過ぎる。(とくに食は・・・)
 
原始時代、人はただ生きるために必死だった。衣住食を手作りするのに毎日追われてた。文明がある現代、多くの人はやっぱり生活費を稼ぐのは大変だ。(例外の人もいますが)植物みたいに光合成でエネルギーを作れて、気温に影響されなかったらこんなに苦労しなくても生きれそう。たくさん自由時間があってね。あと、食物連鎖で栄養を摂らなきゃいけないのは人間の”命の大切さ”の観念を危うくしてる。だって他の生物も生きてるんだよ?動物殺さなくても植物だって生きてるよ?動物>植物だという考えは人間のフィクションでしょう。そこはうまく嘘をついてくしかない。
 
 ここまで言っちゃうと人間どうこうじゃなく、地球の生物生存の仕組みからの話になるな。僕はそこまで好きじゃないのか。

 「世界がこうなればいいのに」より、さらにさかのぼって「人間がこうなれば良いのに」というのは考える人少ないかな・・・・と思ってたら人間同一性障害(リンク先:「考えすぎ」内記事『同一性障害』)という言葉で面白い観点から人間に生まれた違和感について語っている方がいた。

 このエントリー、人間を悲観視する意図じゃないよ。人間の構造的欠陥(僕の価値観で)を把握することは生きるヒントになると思うから。
2006年 07月 02日 (日)

「なぜ働かなければいけないのか?」とか
「なぜ勉強しなければいけないか?」とか
「生きる意味とは?」とか
「なぜ自殺してはいけないのか?」とか
「なぜ人を殺してはいけないのか?」とか

 あらかじめ”答え”(目的地)が決まっている問い(出発地)の立て方はどうでしょうか?僕には根拠が曖昧だけどなんとか信じたい答えに到達しようと、理由付けしようと、思考の道筋を制限しているように思えます。

 紛らわしい書き方をしましたが、これは批判(非難)ではないですよ。あらかじめ目的地を決めておくことは、思考の道筋、到達点が質問者にとっての危険領域にいかないために有効ですから。
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