絶望からスタートするブログ
基本的に独り言です。自分による自分のための言葉です。気分を害される方は読まないことをお勧めします。あなたの気を悪くすることは僕の本意じゃないので。
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2006年 06月 30日 (金)

 僕はよく後悔をする。もし大学入学からやり直せたらとか、もっと欲を言えば高校入学時から、さらに欲を言えば・・・・・・
 後悔しても意味はない。時間は戻らない。分かってる。分かっているけど、今現在の経験があればやり直せばうまくいく気がする。でも高校入学からやり直せたとして周りが高校生の中、大学生の経験で高校生活過ごしてうまくいって当たり前で・・・・それは公園でサッカーしてる小学生の輪に中学生が割り込んで、サッカーうまいのを喜ぶようなもので、自分だけ特権が与えられるわけないよね・・・・・

後悔する思考って「今日」という日を結果とか中間地点だと思ってるからだと気づいた。

「過去のある日」~後悔する期間~「今日」(今日をとりまく状況がよくない)
「過去のある日」~「今日」(この状況では理想に届きそうもない)~「理想とする未来の日」
「今日」をとりまく状況とは、今までの思い出、自分の能力、資産、対人関係など・・・

 つまり「今日自体」や「今日と理想との距離」に悲観してるから、「過去のある日」から「今日」までやり直したいわけだ。もしくは「過去のある日」から「今日」までもっと充実した思い出を作れたかもって。

 だが過去は変えられない。変えられるのはこれからどう過ごすかだけ。だから、「今日」を中間地点だとか結果だとか考えるのを止そう。スタートはいつだって「今日」、もっと言えば始まりはいつだって今という瞬間。この考え方だと

「今日」                        「理想とする今日」(があって)
「今日」   「理想とする今日」(うまくいけばだんだん今日が理想的になる)

 うまくいかなければ、「理想とする今日」を先延ばしにするか、目標を下げるかするだけ。はじまりはいつだって「今日」。「今日」は常に過去を引き継いでいる。そして「今日」を手が届きそうな「理想的な日」に近づける(正確に言えば日常生活を)。ただ、これを繰り返す。しばらくは。届きそうになければ修正する。単純にそれだけ。
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2006年 06月 25日 (日)

強い人間になりたい。

僕の理想は、
権力を持った人間、強靭な精神力、自分を押し通す力・・・・
ではなく

僕が求める
強さ:安定、低リスク、地味、淡々、マイペース・・・・
こんな感じ。
2006年 06月 24日 (土)

奇跡なんて求めてない。そんなに都合よくはいかない。

希望があればよかったけど、嘘くさくて冷めてしまう。

自分を見つけても答えを持ち合わせていない。

目標?もう未来を粉飾したくはないよ。

真理が見えてもプラスになるの?


何を探せばいい?何を探してるかさえ分からなくなった。

探し物は何ですか?
探し物は何ですか?
探し物は何ですか?
2006年 06月 21日 (水)

 もうだめ。

 僕にしてくれた投資、返すことも困難。
 僕は負債を負ったまま。

 なにもかもバカバカしくなってきた。

 自分に義理人情なんかないと思ってたけど、自死しないのは義理からだったんだなw
 そして生きているのは惰性。

 この国は自由。自由に選べるんだけど、高くて買えない選択肢ばかりでしょ?

 僕がダメな人間だから、相対的に誰かの価値が上がるんだな。

 ため息ばかり。

 生きる理由なんてない。死ねない理由、環境があるだけ。
2006年 06月 19日 (月)

地味で小さな視点を大切にしよう。

僕は僕という人間全体を、人生全体を、取り巻く状況全体を、みて絶望してた。
さらに言えば日本という社会、世間というフィールド・・・バックグラウンドとなる環境でどう生きればいいか分からない。
そしてこれらは一気に変えれるものではない。ほんの少しずつしか変えられない。

それなのに大きな視点でしか関心がなく、評価してなかった。そして膨大な修正する作業を前に絶望していた。なにをしても無駄に思えた。大火事を水滴一滴ずつ消すような・・・

今から1時間どう時間を使うか。部屋を掃除するとか、自炊をするだとか・・・
ブラウザをいじるとか、プログラムを数ページ書くとか、本を1冊読むとか、毎朝7時半に起きるとか、1日少しは運動するとか、・・・・・・
目の前の地味な小さな作業。

そこで区切ってもいんじゃない?とりあえず。

関心を、興味を、集中を、評価を、時間を、欲求を、世界を、認識を、流れを・・・・・・・

そのぐらいの規模なら変えられそう。そして、そのぐらいの規模しか変えられない。

自分が、取り巻く世界に関与してる感覚、
地味で小さな視点なら持てそうじゃない?


2006年 06月 18日 (日)

 このブログは主に「哲学」「メンタルヘルス」のカテゴリーに入っている(ランキングで)。ここでは「メンタルヘルス」カテゴリーの話。
 僕は精神科や心療内科に通院していない。よって病院から「精神の病気」と定義されていない。「精神の病気」と定義された人がこのカテゴリーに入るとすれば僕は不適切なカテゴリーにいれたことになる。

 「メンタルヘルス」を日本語に訳すと「精神保健」だ。例えば「身体の健康」というカテゴリーがあった場合、闘病生活のブログだけが該当するとは言えない。病院に通院していない人が健康に気づかったブログも「身体の健康」カテゴリーに入ってて自然だ。

 「身体の健康」の喩えで言うと僕は身体が弱いけど、「病院」には行っていない人だ。精神科にみてもらったわけではないので「離人症」と定義できるか分からないが、中2の頃から7~8年、世界に現実感がない。これはイメージじゃなくて、それ以前は明確にあったので確実にない。僕は世界と自分が結びついてない感覚、脳に膜が張ってる感覚を24時間持ってる。現実感が復活した日が2、3日あった。それと比較してもやっぱりない。そのうち現実感のない人生がある人生よりも多くなって現実感がある可能性すら忘れそうだ。
 あと、神経症かは知らないが高校時代に哲学的な問題を考えて半年くらい何も手につかなかった。寝てもさめても四六時中その問題について考え、授業も聞いてないし、TVも(たぶん)みてなかった。学校をその思考の世界で過ごし、帰ったら部屋に篭って考えてた。食欲もなくなって母親には申し訳ないがよく作ってくれた弁当を捨ててた。朝食も食べなくなった。あの頃食べてたのは夕食だけだったのか?しかも好き好んで考えていたんじゃない。解決しないといけないような偏執な欲求に駆られて、考えざるをえない精神になってた。

 
あと断続的に鬱状態になって何も手につかなくなった。(過去形にしたい)実際ブログを開始当初と前2週間その状態で洗濯物がたまりにたまってた。でもブログに今まで鬱状態から抜け出した思考、新しく考えた思考を書きなぐり(僕はこのブログで言葉を変え同じことを何度も言ってる)今は落ち着いてきている。つまり、この作業は僕が精神を改善する思考をブログに書き殴り、今まで断片的だったものを整理していたんだ!プロフ文(書いてる今現在)でも「精神が健康になる作戦」と書いてあるし、そういう意味で「精神保健」だから「メンタルヘルス」のカテゴリーでいいような気がする。
 
 今後、完全に精神が健康になってそういう思考が不必要になったら外すのかな?
2006年 06月 18日 (日)

  非常に興味が沸く記事「世界をどう認識するか」(リンク先:「中庸が目標」)を読んだ。この記事にコメントしようとすると考えをまとめるのに時間がかかるし、かなりの長文になってしまう・・・なのでトラックバックという手段を採らせていただくことにした。ただ、気持ちだけはすぐにでもコメントしたかったので「トラバ予告」なるコメントをした。我ながら、早急なコメントだったと思う。(しなくてもよかった!)

トラバした以上リンク先の文章に触れるのが筋かもしれないがブロガーさんのプロフ文
>別の人の考え方「自分はこう考える」とかを教えてもらえると、
比較できて面白いと思います。
にあやかり、自分の考えだけを述べる。もちろんそのことでリンク先の文章と関連も生じてくる。(触れると死ぬほど長文になる危険性を危惧してw)

注:これから僕の脳内日本語で喋るので意味不明かもしれませんw

これは「世界をどう認識すれば自分にとって有益か」の現時点での結論である。

 
 僕が自覚的に世界を認識するとき、いきなり結論を言うと「認識コスト」「利便性」を追求した「認識システム」を作ろうとする。これらの言葉は僕の造語だ。僕はこれらを曖昧に定義している。まずこの考え方自体が「認識システム」と言え、厳密に定義しようとすると「認識コスト」がかかるからだ。
 僕が定義した言葉を説明なしに使うと読まれた方は意味が分からないだろうwしかし、これから言葉を使った文章を読んで文脈から、僕がどう曖昧に定義しているか分かる、と思う。英語で知らない単語が出てきても、何回も目にすると文脈からどう使われているか分かるように。そしてこの文章を最後まで読むと上の「認識システム」を記述したパラグラフも読む前より意味が分かる、ことを願う。
 
 いきなり例。たとえばワールドカップを認識しようとするとき、認識する人の目的によってどう認識すればいいか変わる。経済学者がW杯の経済的影響を考察する場合「経済学」を使って、経済的に認識する。この場合の目的は「経済的影響を正確に認識すること」だろう。W杯を応援する心理を分析する場合、「心理学」「精神医学」を使って「W杯を応援する心理を把握すること」が目的だ。どの程度正確に把握すればいいかも違う。心理学者が学会に発表する場合は学問のルールに従って、正確に認識しなければいけない。でも学生が授業で発表する場合は、学者ほどの厳密さ、正確さは求められない。バイトやら遊びやら他にやりたいこともあるし、そこまで時間をかけてられない。自分のブログで趣味「W杯を応援する心理」を発表する場合には、完全に自分の裁量で書く。
2006年 06月 16日 (金)

 僕はゼミで発表するレポートを制作するとき、もちろん自分の卒業研究のためで最終的には自分のためなんだけども、ゼミの担当教官が「頑張ったな~」と感じるようなレポートを作りたい。尊敬する担当教官の嬉しい顔を想像するとモチベーションが上がる。

 これとは別の話だけど誰かの喜ぶ顔を想像して必死に贈り物を作ろうとすると、やる気が出るでのではないか?好きな人に編み物を編むとき(今まだそういうのがあるか知らない)もらった好きな人が喜ぶ顔を想像すると、編み物を頑張らなきゃと思える。(分かりやすい例なのでガラにもなくこの例を出してしまった)

 この考えを応用して「未来の自分への贈り物をしたい」と考えるとやる気がでるんじゃないだろうか。5年後、10年後、未来の自分が、「頑張ってきた過去の自分のおかげでこんなに素晴らしい状況になるなんて!」となるように。今まで過去の自分から借金を負わされてきた気がするから(過去の僕も結局僕なんだけどね)

 未来の自分の喜ぶ顔を想像して頑張りたい。
2006年 06月 14日 (水)
 

    本当に欲しいものが見つからない、もしくは本当に欲しいものが自分には手が届かない、と絶望すると人間は無気力になるんじゃないだろうか。精神疾患が無気力の原因の場合はこの考え方ですべて説明できないかもしれないが。

 願いを叶えることは、蜃気楼を目指すことに似ている。(リンク先:「+不条理な世界+」)理想郷を求め、そこに到達さえすれば満たされると想像しながら。着いた瞬間は狂喜乱舞。苦労したかいがあった。でも、それは幻で冷静に周りを見渡すと実は砂漠だった。

二車線の国道をまたぐように架かる虹を
自分のものにしようとして
カメラ向けた

光っていて大きくて
透けている三色の虹に
ピントが上手く合わずに
やがて虹は消えた

胸を揺さぶる憧れや理想は
やっと手にした瞬間にその姿を消すんだ
(Mr. Children「蘇生」より)

  人間の欲望は脳に浮かんだ幻影を追いかけるようなものだ。


「欲望の機構」
1)期待(幻影が浮かぶ)
2)追求(どうすれば幻影を)注:1)と並行して 
3)達成(幻影を具現化)
4)消費(具現化した喜びを消費していく)
※ひとつの1)~4)が終わるとまた別の機構

 1)~4)のような機構を対象(現実)世界に投射させたり、させなかったり(小説とか)。機構を対象世界に投射した例としてサッカーの試合を想定してみる。
 サッカーの試合をとって見ても長いスパンでみれば練習~試合からJリーグのシーズンもこの機構が働いているし、短いスパンでみれば1つの試合内でも考えられる。1つの試合を題材として、思考を続けてみる。
2006年 06月 12日 (月)
 
僕は「定義病」だった。なんでもかんでも定義しようとして脳がショートしていた。

 「定義病」は僕の造語なので少し詳しく。 例えば、サッカーをやるとき。その中でもボールを蹴る時。サッカーのトレーニング本なんかは

0)インフロントキックは弾道が真っ直ぐで力強いボールを蹴るとき使う。シュートなど
「インフロントキックを蹴るためには」
1)まず、ボールの中心部に狙いを定める
2)軸足をシューズ1個分ボールの後ろに置く
3)膝を曲げて蹴る足をたたむ。
4)全身の体重移動と膝を支点とした蹴る足の動きを連動させる
5)最初視点は目標点を見るがインパクトの瞬間はボールに集中
6)インパクトの瞬間、蹴る足の中心とボールの中心を一致させる
7)自然にオーバースローする

↑こんな感じで書いている(内容は適当。あくまで例)でも、実際ボールを蹴る瞬間こんなこといちいち考えないだろう。考えてたらボールが逃げてしまう。こうやって言葉で「インフロントキック」や「軸足」「蹴る足」やら「蹴るときの動き」を定義するのは最初に「インフロントキック」を正しく蹴るフォームを確立する指針とするためで、後からは身体に染みこませて、無意識に蹴る。フォームを後から調整するとき、その箇所だけ定義して動きを修正したり。この場合、あくまで言葉で定義するのは行為を最適化するための助けとしてだ。
しかし、僕はやたらと定義していた。勉強という行為について細かい過程を言葉で定義して、反芻しながら勉強したり。世界についても人間についても言葉で過剰に定義して、その定義と関係の束から思考を繰り返していた。
 効率の悪い生き方だった。前の定義と後の定義がごっちゃになってわけが分からない。いちいち考えながら動くから、死ぬほどトロくて鈍くさいかった。
 それが日常生活に支障が出るレベルになっていたので、さすがに「定義し考えること」はTPOをわきまえて使うべきだと知った。

 それでも僕はこのブログで自分と取り巻く状況をどう定義すべきかという文章(リンク先:「中庸が目標」)を沢山書いた。深く考えないでも気楽に過ごせる人にとっては意味のない文章だろう。どうでもいいブログだろう。でも僕には切実。世界と自分の関係がうまくいってないから。考えずにはいられない。

 価値のある世界と自分の関係の認識を探そうと足掻き続けてる。
2006年 06月 11日 (日)

 さて、今からコンビニに行こう。自炊も面倒だから、弁当とサラダを買って来よう。無駄に金を使ってこよう。金ないのに。栄養のバランスを崩してこよう。部屋にコンビニ袋を溢れさせよう。 顔覚えられるの嫌だからまた店を変えよう。
 しかし、微妙に高い気がする。あのサラダ100円ならいいのにな。弁当は400円にならないかな。別に高くないか、僕が金ないだけだ。コンビニ通いからスーパー通いにレベルアップしたい。経済的にいいから。
 
 あれ?ぶらうざさん、昨日積極的に苦しむと言ってなかった?この場合頑張って自炊するべきじゃないの?

 そうなんだけど、「積極的に苦しむ」ってスローガン但し書きが必要だね。分かりやすい行動原理が欲しくて、単純にしすぎたよ。何のために苦しむかが結構大事。昨日の記事では一応触れてるけど。やっぱり苦しいことは避けてしまう。そう簡単に性格は変えられない。というか自炊する気にならない(自炊は別に苦しくないか、面倒なだけ)

 だからイメージ的には登山かな。月並みだけど、険しい道を登れば頂上に着くみたいに。
 

2006年 06月 10日 (土)

 できることなら、なるべく苦しまずに生きてたいものだ。無駄に苦しんでた記憶があるし。嫌々やってた習い事、やんなくても良かったような。今になっても別に役にたってない。

 無駄に苦しんだ気がしたから、意味のない苦行を避けてる。その発想の延長かなんなのか行動のハードルが高くなってる、苦しさ・不快を基準としたハードル。要は、苦しいから面倒だからやりたくないってよく思う。会社に入ったら通用しないよ?そうだね。

「苦しいことを頑張った後に本当の幸せがある」

 そういう言葉を信じていない。「苦しむ」プロセスを経由しなきゃいけないゴールが沢山あって、結果的にそうなることが多くても「苦しむ」と「本当の幸せ」が絶対的な因果関係じゃない。そりゃあ、サウナいっぱい入ったあとビール飲んだらうまいかもしれないよ。でも、スポーツ観戦しながらビール飲んでもやっぱりうまいと思うよ。
 むしろ、「苦しむ」プロセスを通らざるえないことの言い訳に感じる。生きるために「苦しむ」プロセスをいっぱい強要されること、あまり褒められないシステムじゃないの?

 僕は好き好んで苦しみたくないよ。マゾじゃないから。だけど苦しいから面倒だからやりたくないってよく思う状態は良くない。行動の選択肢を狭めてる気がして。すぐハードルを越えるのが面倒で頓挫するから。「苦しみ」を拒まなければ人工的なストーリーがやりやすいはず。
 そのために積極的に苦しむくらいの気持ちで。

 だけど、先の「苦しいことを頑張った後に本当の幸せがある」とは違うよ。「楽しいことを頑張った後に楽しみがある」ほうがいいし、理論的には可能でしょ?現実的には楽して生きたいと願っても、子煩悩な大富豪の息子とかでないと厳しいけど。仕方なくこうする。僕も前に踏み出すと「苦しさ」が溢れてる世界にいるから。そこで前に進むためにね。

 そうやって「苦しみ」を受け入れて、報われることを信じるよ。まるで天国に行きたいがため
に教義を遵守するみたいに。天国に行ける保証はない。だけど、最終的に幻想を追いかけて苦しんだほうが無為に苦しいよりいいって考えだから。




2006年 06月 07日 (水)

 最近思うんだ、もしこれから最善の選択・行動をすれば5年後に理想の未来、そこまでいかなくても納得いく未来がくるのかって。
 前は思ってた。ベストを尽くして判断を間違えなければ、理想を掴めるって。つかめないのは努力が足りないから。判断を間違えたから。実際どうか分かんないけど、少なくとも「可能性」は信じてた。

でも、今は??? 
最初から勝算があるのかさえ、疑問。どうあがいても無駄?

 だから落ち着くんだろう。妥当な線で。その未来の場所に僕は適応できるのかな?大抵の人は適応できるんだろう。想像だけど。それで過去に想像していた未来とは違っても、今に意味はあるって、それが人生なんだって。昔には見えなかったものが見えたってなるのかな。

 僕は適応できなさそう。発狂しそうになるよw煙草吸って、大きなため息ついて、TV観ながら気を紛らわせてるけど。

 だからね、5年後から理想の人生が来るって思いつづけることにするよ。順調にいけばあと5年、あと4年、3年、2年、1年ってカウントダウンがはじまるはずだけど、たぶんずっと5年後って言い続けるwそれでも悪あがきを続けるよ。大きな理想を持ったばっかりに身近な幸せを見落とすことだけは注意しながら。そうしないと持たない。狂ってしまいそうになる。もう未来の幻想にすがって生きるって決めた。
2006年 06月 06日 (火)

 僕は世界に色をつけて遊ぼうとした。色の塗り方は適当だったけど、
無色より見やすくなると思ったから。

 それは根拠がないよって言われた。面倒だから反論しなかった。別に根拠がなくとも、無色より見やすいし、カラーのほうが楽しいからいい。

 でも、それは今まで僕がやってきたことだった。他人の作品を見ては、その色には根拠がないでしょ?意味はないでしょ?心の中で呟いてた。

 矛盾していた。
2006年 06月 04日 (日)

今まで気分がさえないから、やる気がでないから、精神を高ぶらせようと悪戦苦闘してきた。

 どうでもいい気分転換をして、ようやく精神が上向きになったと思ったら、結局ネットしてたり生産的なことをなにもぜず、また気分が沈む。

 意欲に満ちて、目標に燃えてバリバリと仕事をこなす理想像を目指していたけど、それじゃないんだな、目標とするところは。そういう人間になれたとしても意欲がなくなればまたダメってことじゃん?
 
これからは、冷静な思考と地道な作業、コンスタントに動いている人間を目指す。

気持ちが沈んだからって上向きにする努力をするんじゃなく、気分に関係なく動けたらいいな。ムラがなく、動いていられる人間。
2006年 06月 04日 (日)

はああああ

人生しょっぱいな。

どうしようかな。

くだらないな。

めんどうだな。

なんか無理なんですけど。

分かってるよ、悪いのは全て自分。
うるさいよ、そんなこと言うなよ。分かってるから、イライラさせるなよ。

あなたは偉い。大変頑張ってます。それに引き換え僕はダメな人間です。

理屈は無効。力で決まるんでしょ?全部。

茶番でしょ?時間がきたら、全部遊びだったって梯子をはずすんでしょ?

ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。

責められてる。僕を責めても、無理なものは無理。でも責められてる。
サンドバックみたいに。
2006年 06月 03日 (土)

 突然ですが、「ゲイラ」って知ってますか?漫画『北斗の拳』に登場するキャラの。
 「ゲイラ」は曙みたいな体型のキャラで、歩くときもノッシノッシって感じで。「呼吸すらめんどくせ~」とか言うんですよ。で、ケンシロウが秘孔を突いて「お前は呼吸すら面倒だと言った。だから呼吸をできなくしてやる」それでゲイラは呼吸困難で死ぬんです。

 僕もその「ゲイラ」の境地。呼吸すらめんどくさい。ケンシロウさん、いっそ秘孔を突いて殺してくれ。呼吸困難は苦しくて嫌だから、身体が爆発するやつで。


大学生、無残な遺体で発見

 
最悪県絶望市社会不適合町3丁目のアパートで、付近の大学に通うぶらうざさん(21)の遺体が発見された。ぶらうざさんはここ一ヶ月音信不通で、不審に思ったアパートの管理人(123)がぶらうざさんの部屋を調べたところ、ぶらうざさんは遺体となって発見された。遺体は細かくバラバラになっており、部屋中の壁に血痕がついていた。金品が盗られた形跡はなかった。警察では、事故、殺人両方の線で捜査をしている。

 
やっぱり怖いから殺さなくていいわ、ケンシロウさん。
2006年 06月 03日 (土)

 最初は君と付き合うなんて思ってもみなかった。悪い噂しか聞かなかったから。でも、君にはじめて会った頃から君の虜になった。君を手放せなくなった。

 ただの火遊びのつもりだったけど君と口づけを交わすたび、僕は癒された。君と付き合いはじめてから、幾度となく口づけを交わしたね。何度もこれが最後かと思ったけど。

 だけど、本当は君のことそんなに好きじゃないんだ。やるせない感情の捌け口を君に求めていただけ。もう終りにしないか?

 このままでは僕はダメになってしまう。君と会えば嫌な事を忘れられるけど、それじゃ自分のためにならないんだ。君がいないと落ち着かない。いつも君のことばかり考えて何も手につかなくなる。君に会うために無駄なお金を使う。僕は壊れていく。だから君と別れたい。

もうやめにしよう。
いつもそう思うけど、会うと君の味を忘れられなくなってしまう。
また自販機の前へ行ってしまう。

だから明日、決意して別れを告げよう・・・・・

僕の彼女、煙草。
(ありがちなネタですいません)
2006年 06月 02日 (金)

 ぶらうざさんは現在21才です。今年で22才になります。

 今では高校生、いや中学生でも携帯を持ってるのがデフォかもしれませんが、ぶらうざさんが当時通ってた高校は、在学中に携帯を買うケースが多かったです。
 もはや当たり前になっている携帯のメールのやりとりですが、携帯を買ったばかりの同級生はそれだけで新鮮でした。面白いメールを考えては送信。機種やメーカーの話でも盛り上がってました。
 ぶらうざさんは高校時代に携帯を持っていなかったので、話の輪に入れませんでした。いや、持ってても入れないので、あえて携帯を親にねだろうとはしませんでした。

 ぶらうざさんは浪人しました。普通、子が親に携帯をねだるものですが、ぶらうざさんの場合、両親が携帯を持たせました。既に同世代のほとんどが持っているし、連絡用にです。
 ぶらうざさんは、精神的に落ちていて、誰とも連絡を取りたくありませんでした。数少ない友人にも携帯のメールアドレス、番号を教えませんでした。むしろ携帯を持っていないふりをしました。
 しかし、両親は過保護です。携帯の利用明細を請求し、ぶらうざさんがどのように携帯を使っているか分かるようにしました。これではぶらうざさんが携帯をほとんど使ってないことがばれてしまいます。
2006年 06月 01日 (木)

 日テレのニュース番組「きょうの出来事」の放送内容で「恋愛ゲーム 女性も熱狂」という見出しがあった。恋愛ゲームといえば俗に言う秋葉系の男性がプレイしているイメージがあったが女性ユーザーも増えているのか?
 途中から番組をみたが、そのような内容はやらず、「今日予定していた特集は後日放送予定」とのこと。わざわざ後日に番組をチェックする気にもならなかったので、ネットで「恋愛ゲーム女性向け」と検索してみた。

 『乙女ゲー』という名称で女性向け恋愛シュミレーションゲームが結構あるらしい。主人公(プレイヤー)は女性で。 
 う~ん?恋人がいない男女が各々恋愛ゲームをしている様子を想像してしまった。これは偏見か。恋人がいてもあえてやるもの?今別個にやってんなら、近い将来オンラインで男女がキャラを操り、バーチャル恋愛するゲームができたりして。もうあるのかなあ?
ある意味究極の出会い系w

 こういうのできたら(もうあるかもしれないけど)流行る?都合のいい異性の願望をゲームで表現しているわけで、異性キャラの中身が本当に異性なら、案外興ざめなのかな?中身が本当の女性よりネカマの方がもてるかもね。でも実際できたらすごい世界。オフラインでは容姿が重要視されるけど、オンラインならキャラの容姿はカスタマイズできる。オフラインで出会えない遠くの違う環境の人に出会えるし・・・・実現しなくても同じこと考えてる人は絶対いると思う。

 僕としてはそれよりバーチャル企業社会を作って欲しいwわざわざ遠くに交通費かけて出向しなくても、ネットの世界ではすぐ行ける。 営業も生身で会うより、モニターの前でキーボード打ってたほうがうまくいきそうだ。会社に行かずとも、自宅のパソコンをつなげば出社・・・・

 そんな妄想をしてしまった、社会不適合者の僕。
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