絶望からスタートするブログ
基本的に独り言です。自分による自分のための言葉です。気分を害される方は読まないことをお勧めします。あなたの気を悪くすることは僕の本意じゃないので。
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2006年 05月 30日 (火)

前回の記事を書いてたら昔のことを思い出した。

そういえば、遺書を書いたことがあった・・・・

 僕の人生は樹海を彷徨っているようなものだったけど、あの時の絶望感はまた違った。普段が昼間の樹海なら、遺書を書いたときは夜も更けて真っ暗だった。
 明るいうちならいつか出口が見つかるかも・・・・そんな希望を持てたが深夜の樹海は、いるだけで怖かった。抜け出せるなんて発想は消えた。

 食事もろくに喉を通らなくなり、水がとにかく欲しくなった。喉が渇いていた。「死にたい」ってのはあったけど、はじめて本気で「死のう」と考えた。早く人生を終わらせたかった。なにもかも沈んでいた。呼吸すら疲れた。
 決意して大学ノートに遺書を書き始めた。思考はまとまらず、重く澱んでた。「両親は悲しむだろうな」「葬式、友達少ないから痛々しい」「人を集めるために親しくない人も集めるのか?葬式で笑われてるだろうな」自分で命を絶つことすら、まともにできない。一層悲しかった。
 遺書を書き終えると疲れて、ベッドの上でうずくまった。どうやって死のうか?死ぬのも案外面倒だ。身体にエネルギーは残っていない。ひたすらうずくまっていた・・・・・
≫ "遺書" の続きを読む...
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2006年 05月 29日 (月)

 昼の某情報番組で杉村議員がブログに自殺について書き込んだ内容が代ゼミの吉野講師の著書の盗作ではないかという件のニュースをやっていたときに

コメンテイターのテリー伊藤が
「かるがるしく自殺とか言うな!」
とかいうような主旨のことを言っていた。

 僕はこの発言にムッとした。
「かるがるしく生きろとか言うな」直情的に思った。

 テリー伊藤さんは放送作家として、成功しているし、もちろん苦労されていることや悩むこともあるだろうけど、今の人生認識として「今後も生き続けること」が自明で、「自殺する」って選択肢は論外なんだろう。
 もちろん、下積み時代など今よりもっと苦労して人生を嘆いた時期もあっただろう。でも真剣に自殺を考えている人と同じ人生認識に立って考えたことはあるのだろうか?
 
 これは一般的ではなく、僕が想定する特定のケースだけど、自殺を真剣に考えてる人と自殺を安易に止める人の間に、自殺志願者の人生認識について差があるんじゃないだろうか。
 自殺志願者が人生を地獄だと考えていて、自殺を安易に止める人が自殺志願者を戦後の日本のようだと思っていて。自殺志願者がこれから先に焦熱地獄や阿鼻地獄の世界のようなを想像しているけど、止める人は今は戦後の焼け野原だけどこれから復興して明るくなるイメージを持っている。ここら辺の認識が食い違わない?絶望している自殺志願者の未来が戦後の日本復興、経済成長みたいになる保証はどこにある?
(戦後の日本の経済成長が本当に明るいかは別。そう想定したたとえ話)

 テリー伊藤の発言を先の特定ケースに勝手にあてはめて反感を持ったが、少し頭を冷やして考えるとテリー伊藤がどういうケースを想定して喋ったか分からない。もしかしたら杉村議員特定の話かもしれないし、本気で自殺について考えてない人が対象かもしれない。
(僕は自殺したくてそれを表現した人全般だと解釈したが)
 さらに、僕はテリー伊藤にどういう思想の背景があるのか知らない。彼の著作や今までの発言をもっと知れば納得できるかもしれない。

 ということでこの発言の是非を保留したら、その後僕の思考回路は
「もし身の回りに自殺志願者がいたらなんて言えばいいだろうか」
というテーマに移っていった・・・・・
2006年 05月 28日 (日)

 動き出さなきゃはじまらない

 どっかの歌の歌詞で聞いたことある気がする。
 実際その通りで、僕は何も行動に移してないから、何も進展していない。

 思考偏重から行動重視へ。
 このことを既に僕は気づいている。あれやこれやするのは面倒だから、頭の中だけで考えてるのが好きだった。しかも、特にその傾向を自覚してなかった。

 浪人時代、今まで受験の本とか参考書ばかりためて頭の中で学習計画を練ることに終始していた僕が、本気で実践してみた(せざるを得なかった)。

 思うように実行(学習)できなかったし、脳内シュミレーションでは完璧だった学習方法も実践してみると、非効率的て不完全なものに変貌してしまった。

 だいたいどんなに完璧な計画を練っても、現実には修正を迫られる。
 考えることも行動と組み合わせて
 実行→反省(分析)・修正→再試行 のサイクルでいかないと。

 とはいえ、ものぐさな性格は直らない。
 頭の中だけだったら、障壁が少ない。実際やってみると邪魔が入って面倒になる。
 「そんなこと考えてる間にやれ。」っていう人もいるけど、
 僕の場合、すぐ面倒でギブアップしてしまう。
 無駄な思考をしている暇も動いている生活習慣をつくらないと・・・・

 こうやって
 「行動重視でいかないと・・・・・」
 と考えてる僕も
 TVでスポーツ観戦しながら、運動している気になってるように
 何も結果を残してないんだろうな。
2006年 05月 27日 (土)

 煙草をやめたい。

 
だいたい煙草をやめたくなる理由は健康面だと思うけど、僕はあまり心配していない。どのみちあと2~3年以内にやめるつもりだし、吸い始めたのも浪人時代からだから、その後ずっと吸わなくなったら大丈夫だろう。(甘いかな?)

 やめたいのは、まず経済面。1箱300円として1日1箱以上吸ってるから、月少なくとも1万以上になる。貧乏学生には痛い出費だ。

 あと、煙草が怠惰の口実になってる。なにか行動を始める前に、
「1本吸ってから」
がかなり続く。結果何本も吸ってるし、かなりの時間を浪費する。

 でも煙草うまいんだよなあ。中毒性あるのは自覚してるけど。なんか煙草を吸う行為って「一息つく」ことを具現化したようなものだから、すっきりした気になるんだよなあ。ストレスが溜まるレポート制作のときお世話になってるし。

 いやいや、やめます。やめます。やめます。
 たぶん・・・・・

 だいたい煙草吸いながらこれ書いてるし・・・・・・


2006年 05月 26日 (金)

 僕はたぶん「空気を読む」ことが下手な部類の人間だろう。

 それでも中学時代よりはマシになった。 中学の頃は「空気を読む」という発想がまるでなかった。独創的な考えをすることがなにより大事で、みんなが共有している認識を意識せずに、ひたすら独自の世界観をつくることが大切だった。周りと会話が噛み合わないことも多かったし、俗にいう「天然」だとみんなに思われていたかもしれない。 
 さすがに、みんなの世界観との溝が深くなり、だんだん共通認識、つまり「常識」は何か?他の人はどう考えてるかを気にするようになった。だから、「空気を読む」能力があるとすれば、上がっているだろう。

 「空気を読む」人間が正しいとされ、「空気が読める人 読めない人」みたいな空気が読める人間になるハウツー本まで出版されてる(たぶん)ご時世だが、「空気が読める人間」は必ずしも正しいのだろうか?

 男尊女卑の社会で男女平等を訴えたことは空気の読めないことじゃないのか?

 権力者に従うのが当たり前の世界で民主化を訴えた人はかなり場を読めない人じゃない?

 人間が空を飛ぶことを不可能だと思われた時代に飛行機を発明しようと考えた人は「その時代の空気」を全然分かってない人じゃない?

 戦争に参加することがいいと信じられていた世間で「敵国だろうと人を殺したくない」って言った人は非国民ってレッテルを貼られるほど、死ぬほど空気が読めてない人になるよね?

 
 こういう極端な例を持ち出す僕も、若干卑怯だろう。
 「空気を読むこと」はいろんな次元・程度の話があるから。

 それでも、僕は表面上は周りの空気に合わせつつ、状況によって空気を変えつつも、
しっかりと自分の空気(世界観)を内包した人間になりたい。
2006年 05月 25日 (木)

 隕石?
 たぶん落ちてこないよ。

 嫌でも人生は続いていく・・・・・・
2006年 05月 22日 (月)

 見えない。

 今どういう状況に置かれているか、
 これから先に何があるのか、
 まったく見えない。

 視野は暗い。
 俺を定義づける尺度もない。
 
 何も聞こえない。

 だから突進する。何も聞こえない。
 
 何も聞こえない。
 
 見えない。
 
 夢か現実か、区別がつかない。

 幻聴と幻覚だけを信じる。
 
 都合の悪い言葉は耳に入らない。
 見たくない現実は横目で確認しとく。

 肯定する。
 とにかく肯定する。
 嘘でもいいから肯定する。

 
 
 
2006年 05月 22日 (月)

 はいはい、俺は負け犬ですよ。
 はいはい、あなたがたに反抗しませんよ。
 はいはい、あなたがたより劣ってますよ。
 

 そんなこと、思っちゃいない。

 
あなたがたのルールにのせられて、隅に追いやられた。
 そこは暗くて、殺伐としてて、なんにもなかった。

 俺の顔なんて見えないだろう。
 俺なんか視野に入らないだろう。
 
 たまに明るい場所に駆り出されては、白い目で見られる。

 自意識過剰?

 
誰もいない場所にずっといたんだ。
 だから自分のことばかり考えるんですよ。

 いつか、この暗い場所とあなたがたのいる場所。
 どっちが、過ごしやすいか逆転させるつもり

 
 
2006年 05月 21日 (日)

 中学生の頃、叶うわけがない希望とか持ってた。
 今、冷めた目でみてる。

 「夢に向かって頑張ろう」とか邦楽聴いては、「頑張ってもねぇー」
2006年 05月 20日 (土)

 ここ2ヶ月くらい、まるでやる気がしない。

 本来は死に物狂いで将来のためになにかを頑張らなければならないのに。自分でもあまりのモチベーションの低さに落胆している。

 昨年度の後半はもっと頑張っていたはずなのだ。だから、現状の自分に疑問。結局、その努力は実を結ばないことを悟り、途中で諦めたけど。

 「人生をやり直したい。中学か高校入学くらいから。」
 最近痛切に思う。なんで最近そんなことばっかり考えてるか、ちょっと探ってみたら・・・

 分かったよ。
 
 なんでこんなに今自分がやる気がないか。
 
 負け戦だから、やる気がしない

 中高の頃、もっと意欲が高い時期もあった。努力してみようとはりきった時期もあった(途中で投げ出したが)それは、未来がまだ来てなくて、白紙なのをいいことに、都合のいい未来を勝手に描けたから。今はだめでもいつかってずっと思ってたから。だから辛くても頑張ろうって気になった。

 でも今は、人生が思い通りにならないこと。もう何度も体験して分かってて。それでもまだ何か期待してて。僕が望む未来を描けない。だから、なにをやっても無駄だって。本当に何もやる気がしない。気休めの娯楽も心から楽しむ気になれない。

 人生をやり直したいのは、その段階から立て直せばまだ勝算が見えるかなと思うから。時間が足りない。もう秋ごろには就職活動だよ。今ほど、時間が過ぎるのが怖いときはない。

 こんな悩みはどこにでもいる大学生の平凡な悩みだと笑って済ませれば楽だけど、僕の学生生活から類推するに、社会不適合度は平凡じゃない。

 「明るい未来」
 ひたすらこれに憧れているけど、ひたすら遠い。
2006年 05月 19日 (金)

 昨日、今の無気力状態から脱せそうなヒントが見つかりそうでずっと考えていた。

 何でもいいんだ。

 
ふと思った。どんな感情でも・・・・

 「悩んでないで行動してみろよ」
 怠惰な僕にとって、この言葉は現状打破の重要なアドバイスだと感じたこともあった。でも、メンタルがしっかりしていない状態で「とにかく行動」しても潰れてしまうのは経験済み。2,3日くらいは自己生産したやる気、衝動で頑張ってみるけど、そのうち効力が切れて、リバウンド?とも言える新たな無気力状態、鬱状態が襲ってくるのだった。

 何でもいいんだ。

欲望、野望、向上心、焦燥感、切迫感・・・あまり見たくない優越感、劣等感などドロドロした感情。
 
 その日の状態で使えそうな感情を抽出する。そして、合理的思考で設定した行動プランに沿ってやっていけば。

 何でもいいんだ、行動の原動力となる感情は。行動の内容、結果が伴うようにすれば。
2006年 05月 16日 (火)

 今、本当は授業に出てなくてはいけない時間。

 面倒だから休んだ。現実逃避中。いいともを見ていて、短い時間でもコーナーをきちっとやる姿は偉いなと思った。僕はひたすらだらだらしている。

 僕は、現実逃避の才能があるw
 離人症だし。筋金入り。離人は中1のころからキャリア8年にもなる。

 でも、現実逃避期間が終わって、カレンダーの日付を確認すると愕然とする。もうこんなに時間が経ったのか。どれだけ何もしていないか。

 まあ、鬱状態よりいいか。

 現実が厳しくて鬱→現実逃避→現実を受け入れる→現実を改善する

 いま上の2個目の段階。そろそろタイトル通り「絶望からスタート」しないと。
2006年 05月 14日 (日)

 昨日も今日も家にいてネット、テレビ・・・・という生活だった。

 今日の14時ごろは友人から「これから遊ばない?」というありがたいメールがきたが断った。別に勉強などしてなかったが、「レポート制作が忙しい」という返信で。

 一人で家で過ごしたいから誘いを断るとき、「特に用事がないなら来てよ」と言われる場合がある。自分にとっては「一人で・・・・」って結構重要な理由なんだけどな。

 「ひとりで過ごす時間」の優先順位が、他人より高い。頻繁に遊びに誘う人は「用事>友達と遊ぶ>仕方なく一人」という感覚なんだろうけど、僕の優先順位は「一人>友達と遊ぶ(遊ぶ内容・人にもよるが)」。向こうからすれば、一人でいたいから断るって感覚は不可解らしい。

 まとめ、僕は「付き合いの悪い人間」である。
2006年 05月 13日 (土)

 僕は、社会批判の文章を読むことが好き、だった。

 昔、社会(今から考えると定義が曖昧な概念だけれども)に不満を持っていた僕は、社会批判の文章を読んでカタルシスを得ていた。保守的な考えのバックボーンが精神論に依拠していることを暴露して論理的に分析して、批判する・・・・そのプロセスは、心のなかの鬱屈を文章を通じて晴らしてくれるかのようだった。痛快だった。宮台真司の本はバイブルになっていた。
 同ジャンルの邦楽も好きだった。音楽を通じて「社会」と戦ってる、そんな疑似体験を体感していた。

 しかし、あることに気づいてから、社会批判がテーマの本をぱったり読まなくなった。

「別にこの本読んでも、俺の人生変わんないじゃん」

 
社会についてマズイ点を分析して、どうすべきか提案する。その意見が正しいなら著者は素晴らしい。思想が広がれば、実践にいつか、いつか、繋がるはず・・・・

 だけど僕にとって切実な問題は、どうやって経済的に自立するかで、それらの本に答えはなかった。僕が読んできた本の受け売りの知識で、いくら論理的に正しく社会の矛盾点を指摘できようとも、お金がもらえるわけではなかった。

 思想を通じて「社会」と疑似格闘する、脳内思考で膨張した大きな自分から、この先どうやって食っていくか悩む小さな自分に変わっていった。

 小さな自分はとても無力で、解決への道筋すら定かではい。

 だけど、現実逃避はしたくない・・・・なるべく。


2006年 05月 12日 (金)

 突然、ノックの音がした。来客の予定もない。なんだろうと思ってドアを開けると、

「ごめん、来ちゃった。。上がっていい?」 
そこにはかわいい彼女が・・・・・・・

僕にいるはずもなく、新聞勧誘員だった。

「前にもここ来ましたよね?覚えてますか?」
「今回は挨拶まわりで来たんです。景品、どうですか?」(それあげて、断りにくくするんだろ?)

 普段、殺伐とした人間関係の僕にとって、新聞勧誘員の愛想のよさはわざとらしかった。間髪入れずに喋り、自分のペースに持っていくのが彼らの常套手段だから、僕も話を遮って、

「間に合ってます。要らないです。ご苦労様です。」
ほぼ棒読みで喋って、ドアを閉めた。
 
 僕の場合、こういう来客の99%は新聞勧誘である。いつもはドア付近の小窓だけ開けて、丁重に断ってフェードアウトするのだが、実家から何か送られてくる気がして、印鑑と朱肉を片手にドアを開けてしまった。記憶違い。


 紙面の半分近くは広告で、しつこい勧誘員と金券で購読者を増やす。そうしていながら、公正な社会の公器であると自負している某大手新聞は、まったく素晴らしいメディアだと思った。
2006年 05月 11日 (木)

 今日も学校に行くのが面倒だった。

 夏休みの宿題を溜めて最終日に困る小学生のごとく、まだ今学期の前半だから休んでも大丈夫かな、と頭をよぎったが、休むと来週困る授業だと思い返して、行くことにした。

 その授業はパソコンの実習。やっとの思いで学校まで行って、教室のパソコンの前に座わる。サイト上に操作方法がupされていて、それをもとに講義していくスタイルだった。
 「早めに終わらせて休もう」そう思って講義を聞かずにサイトを見ながら勝手に進めていった。はじめる前はやる気がなかったのに、夢中になっていた。講義のスピードより自分の方が進んでいる、無意味な自尊心も集中力を後押しした。面倒だった授業があっという間に終わった。

「とにかく面倒がらずに始めよう。意外とすんなり行く」

 そんな万能な行動原則を手に入れた気になったが、これには落とし穴をあった。苦手な対象では集中しようと思っても、弾かれてしまうのは経験済み。前に自分が苦手なジャンルのレポートがあって、これが終わったら他の事しよう、とにかく集中してやろう。そう思って取り組んだら見事に2週間何もできなかった。参考文献を読もうとしても、興味がないから2ページぐらいでギブアップしてしまうのだ。
 受験生時代、受験ノウハウ本に触発されてゲーム感覚で勉強をしようとしたが、無理だった。プレーヤーの嗜好を満足させるように作られたゲームと仕方なくやる受験勉強は全然違うもの。僕の感性は正直だった。

 それでもせっかく自堕落な生活から脱出する糸口を見つけた気がしたので、やらなければいけないことをどうやってこなすか、もう少し考えてみた。

「課題の全体を見渡して自分がやりやすいところから手をつけてみよう」
 この安っぽいノウハウ本に書かれていそうなことがヒントになりそうだ。効率を考えて作業順位を決めてきたけど、これに囚われるから途中で集中力がなくなる。意欲が持続するように、進めていって、後から求める結果に繋がるように修正していけば?形になるのは最後でいいから、過程はとにかく自分の意欲を優先させてみようか。気になる部分に手をつけて、飽きたらやめる。これを繰り返して、全体像を調整していく。こういう方針はどうだろうか。

 試してみよう。

 いつも、すごい閃いた気がした打開策は持続しないで消えていくけれど・・・
2006年 05月 09日 (火)

 明日、学校に行きたくない。

 現実逃避してる。
 意味もなく普段読んでないブログまでアプリ型RSSリーダーを使ってブログ巡回。
 
 寝たら明日になるでしょ?(日付的にはもう9日だけど)学校行かなきゃだめでしょ。面倒だ。でもサボっても後のフォローがもっと面倒だし。

 だけど眠い。寝たくない。だんだんパソコンのモニターみる目が疲れてきた。

 もはや自分が何を打っているのか自覚していない。眠たいけど寝たくない。

 本当に自分はダメだ。本来、前提として目標に向かって精一杯頑張って、その中でもうまくいった人だけが成功するのに、前提すらやっていない。

 意識朦朧の僕の一言

「世界をつくったのは神だとしたら、人間は神以上の存在になるだろう。
        なぜなら世界を勝手な解釈で体験することができるのだから」

 まったく適当。
2006年 05月 08日 (月)

 連休が終わって学校がはじまった。まったくやる気なし。死ぬほどめんどくさかった。

 なんかダメだ。もう何をやってもうまくいかない気がする。

 頭が働かない。体がだるい。呼吸をするのもめんどくさい。タバコもやめられない。

 ニートになりたい。沢山資産をもっている。しかし現実は貧乏学生。

 午後はさぼって寝ていよう。


 さあて、明後日くらいからやる気出して頑張るか!(たぶん)

 
 
2006年 05月 07日 (日)

 遠くに住んでる友人がたまたま、うちの近くに用事があったので「ちょっと寄っていい?」ってメールがきた。断る理由もなかったので呼んだ。

 友人を招いたはいいが、話は長く続かなく、少し気まずかった。こういう時どうやって時間を過ごせばいいのだろ?特にうちに面白いものもないし・・・・・そして1時間くらいで帰った。

 本当に人と接するのが下手。みんなどうするんだろ?冷蔵庫からジュースとか取り出して、気が利いた曲でも流して、話は盛り上がるんだろうか。ひとしきり話したあと、「これ面白いよ」とか言って家にあるモノを紹介するのかな。そうやって家に誰かを招いてイニシアティブをとって楽しませるとか、まったく自分に欠けてる。

 普段人とあまり関わらない分、ちょっとコミュニケーションに負荷がかかる状況になると、すぐ困る。会社入ったら、大変だろうな・・・・・同世代にコミュニケーション能力で遅れをとっている。

 だけど今さらどうこうできない。日陰の人生でいいや。
2006年 05月 05日 (金)

 一応現在自分は大学生というカテゴリーになっている。

 楽しい大学生活のイメージといえば「合コン」やら「旅行」であるけど、対人関係が乏しい僕にとってまったく無縁の話である。

 孤独な人間なりに時間を楽しむとして、「ゲーム」とかインドアな方法は沢山ある。友達と飲みに行くくらいなら、友人の少ない僕でもありえる。そういえば「旅行」だって友人から誘われたけど、金もかかるしめんどくさいから断ったんだっけ。

 今を楽しく過ごしても近い将来を考えると、心から楽しめない。暗い未来を明るくすることのほうが大事だと思う。
 
 「じゃあ未来のために何かしてる?」 

 ・・・・・・・・
 なにもしていない。というか方法が分からない。
 
 現実的な選択肢として公務員試験が考えられるけど、今からじゃ厳しい。公務員になる気もないし、もしなれたらなれたで人生決まってしまいそうで・・・

 「人生に何を期待しているの?」
 「世の中甘くない。社会は厳しい。みんな生きていくのに必死なんだ」
 「社会人になったら自由な時間は減るから学生のうちは楽しんどけ。
  みんな就職するんだから。フリーター?将来ないぞ」

 
頭の中から人生経験豊富な社会人の方の声が聞こえてくる。この意見に反論する気はない。反論できるだけの力も実績もない。その言葉は僕にとっても、一般的にも正しい。


 「会社で頑張ってみるよ。使える人材になれるように。就活頑張るよ!」
思ってもみないことを口にする。

 だけど、いつか、この常識を否定できますように。
 奇跡的にもこの想いが実現するか、それとも企業社会に適応して同じことをいう人間になるか、適応できずに廃人生活を送るのか。

 まだ分からない。それだけが救い。
2006年 05月 04日 (木)

 最近の自分。

 テレビ、ネット、コンビニ、学校、睡眠、散らかった部屋。

 GWになったので上の項目から学校が消えました。延々と繰り返し。時間の浪費。だから生活を変えなきゃいけない。変えなきゃいけない。変えなきゃ。

 「変わったらどうなるの?」

 どうにもならないよ、たぶん。最近よくテレビ見るから思うんだ、自分の生活の無意味さを。

 「人生は平凡なもの。たまにある幸せを糧に生きればいい」
 「ドラマと現実は違うよ、君は小学生か?」


 いや、でも甲子園を目指す高校球児とか濃い時間を過ごしてる人達もいると思うけど。

 「ゲームでもしたら?技術が進歩してるから楽しい世界を体験できるよ。無理に現実と対峙しなくてもいいよ。どうせ無駄な努力だよ。ただ真面目に就職活動だけはやっといてね」
   
 っていうかあなたは誰?モニターの前で自問自答している気持ち悪い僕は何?
 
 そんな自分に嫌悪感。どうにもならない世界に絶望感。

 だから何?
2006年 05月 02日 (火)

 人生を投げ出したい。なんか到底クリアできないクソゲーをプレイしている気分。ゲームなら電源を切れば終わる。でも人生は。
 
 自殺すれば終わる?

 でも自殺しない。知らない間に生きてく上で親に負債を抱えてしまったから。
 いままでの生活費、教育費・・・・・・・完全に不良債権だなあ。

 自殺して生命保険が親に振り込まれるならいいけど、適用されるのかな。されなそう。だからとりあえず、いままでの養育費を親に返すまでは生きなきゃいけない気がしてる。
 
 それが自殺しない理由。
2006年 05月 01日 (月)
はじめまして。存在するかどうか分からない読者のあなたへ。

 僕は容姿が悪く、人と関わることが苦手で、人生を投げ出したいと思っている大学生(2006年5月現在)です。  普通の大学生にとっても就職することはあまり楽しいことではありませんが、社会適応能力のない僕にとっては重く、暗い未来しか描けません。就職したくない・・・  

 でも、遊んで暮らせる大金があるわけでも、プロスポーツ選手になるほど運動能力があるわけでも、自分で事業を起こせるプランがあるわけでもない。だから就職活動をきっとするでしょう。  
 僕のイメージでは未来は暗く澱んでいて、時計の針が進んでいくたびに、澱みの中に少しずつ吸い込まれていく感覚です。  
 
 そんな状況の僕ですが、這い上がりたい、という願望はあります。
 別にブログをはじめることで自分の願望が叶うとは思いませんが、明るい未来に近づいていっている勘違いをするためにブログを始めました。

 湿っぽいブログだから誰も読まない気もするけど、確実に読んでくれる人はいます。それは僕自身です。僕が「這い上がりたい」という気持ちを持ち続けていられるように、書きます。

 完全に絶望から抜け出すか、このまま沈んでいって更新する気力まで失うか。それまで続ける予定です。
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