絶望からスタートするブログ
基本的に独り言です。自分による自分のための言葉です。気分を害される方は読まないことをお勧めします。あなたの気を悪くすることは僕の本意じゃないので。
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2006年 07月 15日 (土)

 僕が高校の頃、街で、金網で囲まれたバスケやサッカーのゴールなんかがある広い敷地があって、よくそこで遊んた。とくに3on3をよくやってたな~。でもバスケやサッカーだけじゃなく、いろいろなことをした。メンバーも身内だけじゃなくて、適当に集まったストリートの仲間も合流して。楽しい場所だった。まあ、思い出の場所ってやつだ。ところが、最近久しぶりにそこを訪れたらだいぶ変わってた。敷地が狭くなって、バスケのゴールだけ。なんか寂しい。

 今回は↑のようなイメージの話(そんな思い出ありません。ストリートって言ってみたかっただけ)

 僕が高校の頃、某匿名大型掲示板の「のほだめ板」によく行ってた。社会適応力、職場や学校の能力、対人関係、恋愛・・・自分でだめ人間だと定義する人が集まっていた。上にあった「無職・だめ板」が深刻なのに対し、その頃ののほだめ板はもうだめすぎるから逆に諦めて、まったりしましょう、といった空気に溢れていた。異性に声をかけられても、事務的に返答する・・・とか「もう諦めてひたすら目立たず生きましょう」という内容のテンプレがたくさんのスレに貼られてた。その頃は某匿名大型掲示板も今よりアングラ感があったしMMOやSNSが今ほど盛んじゃなく、そこへの依存度が高い場所だったと思う。僕も文字通りのほだめ板の住人になっていた。のほだめのどのスレを見ても自分のことを書いてる気がした。居心地のいい空間だった。僕の思い出の場所。
 でも、だんだんとまったりする場所じゃなく、だめさを深刻に表現する傾向が出てきて、胸に痛い書き込みが増えてきた。さらに、僕は自分のことを”だめ人間”と定義することに疑問を感じてきた。確かに自他ともに認めるだめ人間である。しかし、人間には多面的に評価する視点があって、だめな僕でも柔道が人より少し強かったり、メーリングリストで議論がうまかったり、取るに足らないことでも長所はあるのだ。いろんな視点があるのに自分で”だめ”と定義してしまっては、向上心が削がれて、本当にどんどん”だめ”になる気がした。だから、のほだめ板にだんだん行かなくなった・・・・

 先日、久々に「のほだめ板」を訪れた。あれ?近くに板が増えてた。「負け組」「モテない男」「孤独な男性」「もてたい男」・・・・「のほだめ板」から対人関係、恋愛のだめさを分化させてしまったら、経済的とか能力的なものしか残らなくない?「のほだめ板」自体もなんかしっくり来なかった。僕みたいにだめスキルフル装備の人間には昔のほうが良かった。カテゴリーを細分化したことで、話題を絞れるけど。だめな全体性がある場は魅力あったなあ。

 「のほだめ板」昔の方がよかったと思ってるのは僕だけ?
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2006年 07月 04日 (火)

 長い下積み時代を経たミュージシャンがメジャーデビューし、大ヒットしたとき。厳しい練習をした高校球児が甲子園への切符を手に入れたとき。長い浪人時代の勉強の末司法試験に合格したとき。苦労が報われ夢が叶った瞬間。夢を切実に思い続けた人にしか分からない感動がある。

 でも、うまくいく人ばかりじゃない。そういう人にも醍醐味はある。

 惜しくも甲子園にいけなかった高校球児が試合後の夕暮れの球場に一人でぽつんと座る。(許可なしで入れるか分かりません)卒業後、思うような結果を出せなかった元サッカー部員が夜のグラウンドを訪れ、一人でシュートを打ってみる。夢破れたミュージシャンが誰もいないライブハウスでステージにのぼり眺めてみる、誰もいない観客を。
 寂しさ、切なさ・・・感傷的な気分に浸る。もう過去の事となった余裕のなかで。失意した当時は痛くて直視しがたかった悲しみ。今はじっくり受け止め、味わう。

 僕はもうすぐ22才になる。14~21才くらいか、青春と呼ばれる時期は。ちょっと古くて、青くて、若々しくて、エネルギーがあって、根暗な僕には到底似合わない言葉だけど。でも、なにか期待していた部分はあった。青春という言葉が意味するところに。
 青春には光と影があるらしい。僕はずっと闇の中にいた。現実を直視できなくて世界のリアリティすら失った。隣の人の光が眩し過ぎてキツかった。コントラストで僕の影が強調される気がしたから。結局、待ち望んだ夜明けはずっと来なくて・・・今に至る。もう僕には重すぎて要らない言葉。今なら他人の幸せを素直に喜べるかな?

 誕生日の日、ビールと煙草を買おう。ビールを飲みながら適当にテレビ観て、寂しく笑ってみる。テレビを消して、煙草を吸う。輝かしい時がないまま、22才になった事実を静かに受け止める。そして、ただ寝転がる。ぼーっと天井を眺めながら。過去を回想したりしない。痛々しくて辛いから。孤独に空虚な気分に浸る。もう終わったこと。もう過去のこと。

 その時の、寂しくて、切なくて、なんか感傷的な気持ち。心地いいものになればいいな。
2006年 06月 02日 (金)

 ぶらうざさんは現在21才です。今年で22才になります。

 今では高校生、いや中学生でも携帯を持ってるのがデフォかもしれませんが、ぶらうざさんが当時通ってた高校は、在学中に携帯を買うケースが多かったです。
 もはや当たり前になっている携帯のメールのやりとりですが、携帯を買ったばかりの同級生はそれだけで新鮮でした。面白いメールを考えては送信。機種やメーカーの話でも盛り上がってました。
 ぶらうざさんは高校時代に携帯を持っていなかったので、話の輪に入れませんでした。いや、持ってても入れないので、あえて携帯を親にねだろうとはしませんでした。

 ぶらうざさんは浪人しました。普通、子が親に携帯をねだるものですが、ぶらうざさんの場合、両親が携帯を持たせました。既に同世代のほとんどが持っているし、連絡用にです。
 ぶらうざさんは、精神的に落ちていて、誰とも連絡を取りたくありませんでした。数少ない友人にも携帯のメールアドレス、番号を教えませんでした。むしろ携帯を持っていないふりをしました。
 しかし、両親は過保護です。携帯の利用明細を請求し、ぶらうざさんがどのように携帯を使っているか分かるようにしました。これではぶらうざさんが携帯をほとんど使ってないことがばれてしまいます。
2006年 05月 30日 (火)

前回の記事を書いてたら昔のことを思い出した。

そういえば、遺書を書いたことがあった・・・・

 僕の人生は樹海を彷徨っているようなものだったけど、あの時の絶望感はまた違った。普段が昼間の樹海なら、遺書を書いたときは夜も更けて真っ暗だった。
 明るいうちならいつか出口が見つかるかも・・・・そんな希望を持てたが深夜の樹海は、いるだけで怖かった。抜け出せるなんて発想は消えた。

 食事もろくに喉を通らなくなり、水がとにかく欲しくなった。喉が渇いていた。「死にたい」ってのはあったけど、はじめて本気で「死のう」と考えた。早く人生を終わらせたかった。なにもかも沈んでいた。呼吸すら疲れた。
 決意して大学ノートに遺書を書き始めた。思考はまとまらず、重く澱んでた。「両親は悲しむだろうな」「葬式、友達少ないから痛々しい」「人を集めるために親しくない人も集めるのか?葬式で笑われてるだろうな」自分で命を絶つことすら、まともにできない。一層悲しかった。
 遺書を書き終えると疲れて、ベッドの上でうずくまった。どうやって死のうか?死ぬのも案外面倒だ。身体にエネルギーは残っていない。ひたすらうずくまっていた・・・・・
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