絶望からスタートするブログ
基本的に独り言です。自分による自分のための言葉です。気分を害される方は読まないことをお勧めします。あなたの気を悪くすることは僕の本意じゃないので。
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2006年 11月 10日 (金)

 僕はまだ学生で正社員として雇用されたことはない。バイトなら経験がある。
 その範囲の話です。
 
 上司が部下を叱ることがあっても、逆はまずない。
 先輩が後輩を叱ることがあっても、逆はまずない。
 親が子を叱ることがあっても、逆はまずない。
 先生が生徒を叱ることがあっても、逆はまずない。

 少なくとも小中時代を思い出してみると、先生を叱る小中学生は見たことないw
 もっとも、最近は変わってきつつあるのかな?僕の大学では学生が教員を評価する仕組みがあって、授業の評価アンケートなんてのもあるけど。

 大概は目上の人が注意する。目上の人のほうが経験を積んで偉いから正しい。
 本当にそうなのだろうか。常に?
 「正しさを伝える人」と「正しさを受け取る人」、関係性が固定している気がする。


 2通りの解釈が浮かんだ。

 『目上の人は経験を積んでるから正しい。目上の人は下の人より正しい人。』
 『目上の人は権力をもってるから正しい。権力があるほうが正しくなる。』
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2006年 09月 26日 (火)

 前に書いた記事「自分の人生だから辛い」の中盤くらいに書いてたことをもっと詳しく。
 内容はホラー映画でみてる分には楽しいけど、現実にそういう状況になったらなぜ嫌か。


 怖いホラー映画、好き嫌いはあると思うけど好きだったとして。

 怖い映画の主な魅力は登場人物の恐怖に感情移入することだと思う。このとき、恐怖は快感だ。スリルが欲しい。

 でも、多くの人は現実にジェイソンに追い掛け回されたら嫌だろう。ある意味それが究極のスリルと言えるのに。この違いは何?
 すぐ思いつくのは映画で見てる分には実際殺されないという保証があるから。安全を確保した上の恐怖なのかな。安全を確保しつつもそれを忘れて恐怖を感じたいという微妙な。いくらスリルが欲しいからといって、事故の危険があるジェットコースターに乗りたくないw

 それと恐怖とともに感じる(であろう)焦燥感は不快(僕にとって)。

 リアルに書きすぎると個人情報になるから僕の体験を少し改造して(ニュアンスは変えてませんよ)書くと、こんなことがありました。
 締め切り今日のプレゼン、結構重要な。しかし、怠けていて何も準備をしていない。発表は3時間後。準備期間2週間レベルだから、まともにやって終わるはずがない。やってませんって言ったらメチャクチャ怒られそう。しかたなしに、ネットで情報を適当に集め、ほぼパクリでパワーポイントを仕上げる。もう時間がない。話す原稿をまとめる時間はないし、パワーポイントの内容も酷い。それでも時間が来たからプレゼンしなきゃ。
 この状況はある意味サイコスリラー映画のようである。(僕のなかで)しかし、こんな状況望まないw サイコスリラー映画を見る分に劇中人物が追い込まれるのをみるのが楽しい。しかし、実際なったら嫌だ。それは、ドキドキとか快感になる感情以外に、こんな状況嫌だという焦燥感(これは僕の中で不快な感情)があるから。映画で観てる分には意識してないだろうけど、フィルターでふるいわけるように快感の部分だけ感じられるのでしょう。

 「自分の人生だから辛い」の中では記事全体の流れから”主観に入ると辛い”という話にまとめてたけど、今考えるとちょっと違うなあ。なんだろう?

 ホラー映画じゃなくても、恋愛ドラマでupdownが激しいの、観てる分にはいいけど当事者は大変そう。
 あーでも正の感情だけの場面ならドラマで鑑賞するより現実が勝る。

 今、まとめるならこんな感じかな。
 現実は感情のいいとこどりが難しい。
 でも、場面によって現実の方がいいときもある。
2006年 08月 05日 (土)

「旧連鎖ゲーム」

参考:1、2、3、4・・・・・・・(N-1)、N、(N+1)、(N+2)・・・・・
※Nは任意の自然数。

ルール
0.まず、あなたはNになる。
1.(N-1)はNにとって親で、Nは(N-1)にとって子である。
2.Nは、(N-1)の世話にならければゲーム続行できない。よって(N-1)に感謝し、
  終始、(N-1)の意向、期待に沿うようにゲームをプレイしなければならない。
3.Nは(N-1)の期待に沿って(N+1)を生成する。
4.Nは未熟な(N+1)を自分の理想のプレイに合うよう指図する。世話をしたNに
  感謝するようにさせる。(N+1)が理想通りになると満足する。
5.Nは(N+1)に(N+2)を生成させる。

1.~5.を何世代も繰り返す。
1~∞間の別の任意の自然数Mに着目すると1.~5.のNと同じことが起こっている。


 僕は「旧連鎖ゲーム」が好きではない。一世代のNに注目してみよう。好きなようにプレイしたいのに(N-1)に指図され、自分が好きなようにできない代わりに(N+1)を理想通りにコントロールする。つまり、ずっとNがNとして好きなようにゲームできない。


 僕は「新連鎖ゲーム」のほうがいいな。

「新連鎖ゲーム」
ルール
0.まず、あなたは任意のNになる。
1.(N-1)はNにとって親で、Nは(N-1)にとって子である。
2.Nは、(N-1)の協力を受け、好きなようにゲームをプレイする。  
3.NはNの意志で(N+1)を生成する。生成された場合のみ、4.に進む。
4.Nは(N+1)が好きなようにプレイできるように協力する。
5.Nは(N+1)に(N+2)を生成させるか、任せる。

1.~5.を何世代も繰り返したり、途切れたり。


これだと、NがNとして自分の好きにプレイできるから。
2006年 08月 02日 (水)
※はっきり実名を出さないところは検索対策だと察してください。

 今日、テレビで某ボクサーの試合が放映される。テレビはキャラクターと戦績が好意的に
報じられ、彼を盛り立てている。でも、某匿名大型掲示板などのネット世論では、叩かれている。今までの相手は弱い相手ばかりだったのではないかとか、八百長があったのではとか、世界戦までの経緯が怪しいとか。そのあたりをよくまとめているブログ記事(マスコミの過剰な煽りと1部で行なわれている祭り:大学生が社会について色々書くブログ)を見つけた。

 彼の人気は”生意気”とも見られるインパクトのあるキャラクターにある。マスコミの報道もあって普段ボクシングに関心のない人も惹きつけた。しかし、ボクシングという競技を愛するファンには、強い者が勝って称賛されるという競技性を、作為的に歪められることに嫌悪感を持つ人をいる。堅苦しく書いたけど、要は、実力も未知数なのに、弱い相手とばかり戦ってランキング上げて評価されてるのは、おかしいという意見。真面目にコツコツ、ランキング上げてる人もいるのに。僕も、ボクシングの評価秩序を狂わすことには反対。でも、某匿名大型掲示板などの彼への誹謗中傷には他に理由がある気がする。彼のキャラクター、チヤホヤされてることの妬み、は言いすぎか、嫌悪かな?そして、集団性。それもボクシングの競技性を守る世論としてアリなのかもしれない。是非は分からない。

 僕は彼のキャラは条件付きで好きだ。完全に個人的な好き嫌いだけど、彼のキャラは世間の批判があるなかで、正論を言い続けてるときにあのキャラならかっこいいと思う。でも、条件から外れてる。だから、好きでも嫌いでもない。
2006年 07月 11日 (火)

まずは言い訳から。この記事、村上陽一郎氏の意見とかぶるかもしれない。彼の本は読んだことないけど、彼の文章を読んで、僕が漠然と考えていたこと(これから書く)を明確に述べていた気がした。だけど、この記事の思考は僕が考えたことが偶然村上氏の考えと一致したのか、それとも彼の文章を読んで、自分の考えだと思い込んだか(パクリ?)昔の話なので曖昧で覚えてない。かぶりかもしれないし、パクリかもしれない。たいして読んでないからかぶってない可能性も。

環境破壊、環境汚染・・・・・この分野に疎い僕がこの言葉から連想される事例を考えてみる。
森林伐採、大気汚染、オゾンホール破壊、ゴミ問題、生態系への悪影響・・・・・

森が砂漠化する、大気が汚染される・・・・地球を擬人化させて『地球は泣いている』。こう表現する。本当に地球は泣いてるの?同じ地球を擬人化させるなら、森が砂漠化した状況は無駄毛処理だと思って喜んでいるかもしれない。煙草の煙が好きな人もいるように、地球は人間が大気汚染だと定義した大気の状況を喜んでるかもしれない。なんで極端な反例を出したか?人間が地球のためにと、問題を一般化しているけど、何が地球にとっていいか悪いか、定義してるのは人間じゃない?

僕は生態系の話に詳しくないけど、人間の活動である種の生物が減ったとしても地球にとって悪いこと?地球が誕生したときから、生態系は変化しつづけてるのでは?ある種の生物が減少したからって、人間の人を殺してはいけないってルールが食物連鎖で成り立つ自然界に適用されるの?地球自体、案外生物が多すぎる減らしてくれって思ってるかもよ。分かんないけど。絶滅する天然記念動物は保護すべきで、害虫は駆除すべき、何がいい生物で何が悪い生物か人間が決めたものだよね。

そろそろ結論。環境保全は「地球のために」とか変に問題を一般化しないで「人間が住みやすい環境のために」と言ったほうが(ここは完全に村上氏)論点がずれない気がする。住みよい環境のために、砂漠化や大気汚染や生態系への悪影響は困る。これで良くないかなあ。

「人間は地球環境を悪化させる存在だから、いないほうが地球のためにいい」って表現に違和感がある。何が地球環境にとって”悪化”か”良化”か、決めてるのは人間なのに。そして、その大半は自分達が住みやすいかどうかなのに。まるで汗っかきのA君が「汗っかきはクラスからいなくなればいい」と言って自己嫌悪してるよう。汗をかいて困るのは自分だけど、その定義で自分を苦しめることないでしょ。人間にとって住みやすい環境をつくる。それでよくない?

この話屁理屈ぽいけど、僕はこっちのほうが筋が通ってる気がする。そして、やっぱりパクリかもしれない。
2006年 07月 09日 (日)

「都会」は人工物で「自然」と対立したものとされる。自然の対義語は人工らしい。

 ってことは「都会」って「自然」と全然違うものなのか?よくよく考えて欲しい。あなたが今使っているパソコンの形は「自然」とまったく違うものかもしれない。でも人間が無から作った訳ではなく、自然を加工して作ったものだ。あなたが住んでるマンション(or一軒家orアパート)も天然の自然とは程遠い姿かもしれない。でも、幾重の加工の元を辿ればやっぱり自然からつくったものだ。

 人間は科学技術という手法・・・人間は数学や化学などは自然の運動を記号体系(化学式とか)に置換し、人間が把握しやすくする。その記号体系を自然をうまく置換したものに更新していく。自然をより把握できるようになれば、自然を加工しやすくなる。そうして、人間は自然を自分たちに利益があるものに加工していく。

 つまり、「都会」・・・高層ビル、道路、すべて、自然を人間が加工してできたもの。「都会」を「自然」と対立した概念として扱うのは人間を特別視しているからじゃない?

スズメの巣や蜂の巣のように・・・・・・
「都会」は人間が作った巨大な巣かもしれない。
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