絶望からスタートするブログ
基本的に独り言です。自分による自分のための言葉です。気分を害される方は読まないことをお勧めします。あなたの気を悪くすることは僕の本意じゃないので。
--年 --月 --日 (--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2006年 11月 16日 (木)

 


 悪いとき、ピンチの時、うまくいかないとき、不利なとき、不調のとき、


 そういうときこそ、頑張らなきゃいけないのかもしれない。


 なのに、後悔したり、無気力になったり、投げ出したくなる。


 昔、流行った歌でいうところの、


 『負けないこと♪逃げ出さないこと♪なんとかなんとか♪信じぬくこと♪


 だめになりそうなとき~それが一番大事♪』


 


 そこまで理性的になれない。


 うまくいかなかったら落ち込む。遅れてたらやる気が萎える。ペースが遅くなる。


 


 自然な感情だけど、


 理想としては、いいときもわるいときも、能力を最大限発揮できるように。


 ということは、


 下手に落ち込むべきではないのかもしれない。


 悩む必要はないのかもしれない。


 


 うまくいかなくて落ち込むのが条理という印象だったけど


 合理的に考えると不合理なのか。変な表現だけど。


 理想として、状況の良し悪しにかかわらずマイペースに進めるようになりたい。


 


 結果よりプロセスって感情的な(感情に配慮した)肯定論だと思ってたけど、


 案外合理的かもしれない。

≫ "逆境" の続きを読む...
スポンサーサイト
2006年 10月 15日 (日)

 最近、後悔祭りですw 今後の人生の身の振り方を決めなきゃいけない時期に差し掛かって、人生やり直したいなあとよく思ってます。正確に言うと後悔じゃないんですけどね。あの時ああすればよかったじゃなくて、昔に戻りたい。過去の自分の選択、行動はその時期の自分の判断能力からすると仕方ない部分があって、それについてどうこうというより、今の記憶を持ってやり直したい。まあ、無理な願望です。不合理なんだけど望むわけです。

 後悔の部分をちょっと考えてみると「やりたいこと」「できること」「やること」があって、「やること」が「やりたいこと」に寄りすぎてて、もっと「できること」を見つめていればよかったなと。ん?分かりにくいですか?文章だと伝えにくいことですね、これは。たいして難しい話じゃないんですが・・・

 ちょっとイメージで描写してみます。僕が今、X地点にいるとします。景色のいい場所に行きたい。そこで山の頂上A地点が見えるわけです。A-Xの直線を引いて、X地点からA地点を目指します。でも、その直線はけもの道で、困難だった。迂回しながらも頑なにAを目指すけど、なにも進まないし、歩きもしない。そんな感じでした、僕は。
 だから、無理にA地点を目指す必要はなかったと思います。よく「俺はなにもかも中途半端で・・・」のような言い方を目にします。しかし、僕の場合は中途半端どころじゃないです。3日坊主までもいかない、3日も続かない。逆境こそ成功の種があると成功哲学の本に書いてましたが、なんだかんだいっても、逆境より順境のほうが良かったです、僕はね。

 X地点からもっと見晴らしのいい道があって、その道を辿っていけばB地点に着く。最初からB地点を狙ってはいない。歩きやすい道、景色が良くなりそうな方向へ進んでいった結果です。こういう生き方をしていったほうが、より実利的だったと思う。しかも、先のA地点へは一生懸命進んで、たどり着かなかったでもないんです。道がいまいち見えなくて、怠けて進んでないんです。

 話を戻して整理すると、X地点にいたとして、やりたいこと(景色のいい場所)、理想(A地点)を頑なに目指すんじゃなくて、できることを伸ばしていく、その結果(B地点)自分のなかである程度、その程度は全然未知数ですが、満足する環境にしていく。そんな選択を行動をしていけばよかったなあと思います。「やりたいこと」と「できること」が全然、違うこと、2分されることだとは思ってないですよ。いくら「できること」を伸ばしても、自分の願望に合わなければ意味ない。バランスの問題です。「やりたいこと」「理想」に寄りすぎてた。「できそうなこと」「現実」を理想に加工していくというか、そっちのほうが結果的に「理想」に近づいていたと、そう後悔してますね。

 先日、「不可能を可能にする」という記事を書きましたが、これも見返すと、頑なにA地点を目指す志向に見えます。まあ、ケースバイケースですよ。頑なに目指したほうがいい場合もあるでしょう。でも僕はもっと「できること」を伸ばす志向があればよかったです。

 後悔記録、おしまい。
2006年 09月 28日 (木)

 絵に描いた餅
 言うは易く、行なうは難し
 口だけなら塔がたつ

 ↑のことわざ、多少間違いがあるかもしれませんが(汗)、これらは口でいうだけなら簡単。でもやるなら難しいってことですよね。

 なんとなく「口だけじゃなくて行動しろ」とも言われてる気がする。

 しかし、本当に自信がなくなってくると、餅を描くことすらできなくなる・・・・・・僕は怠け者。毎日、夏休みをネットを徘徊して、タバコ吸って、パソゲーやって、自炊もしないでコンビニ弁当で寝てるだけの日々。

 そんな生活で何もできないんじゃないかと思えてくる時がある。本当に何もかも。

 一生禁煙できないかもしれない。もう二度と自炊できないかもしれない。冷静に考えると今後1週間で禁煙は無理でも、一生のうちならできると思える(これも甘いのかな)。二度と自炊しないと考えるほうが非現実的だろう(多分)。

 自信喪失も行き過ぎると本当は、自然にできることさえ、ゴミをちゃんと出すことさえ、役所に住民票を取りにいくことでさえ、もうできないんじゃないかって思えてしまう。

 絵に描いた餅を咎められるのは、実物の餅を作れるかどうかで悩むレベルの話。

 とりあえず、実物の餅を作ることは無理でも、絵だけは・・・・
 描けなくなるより描けるようになったほうがいいと思う。

 まず、絵に描いただけの餅を肯定して、そこから・・・・

 これは頭でっかちな性格で絵に描いてから実行に移す僕の場合の話です。
 いきなり、実物の餅を作れる人は、それはそれで素晴らしい。
2006年 08月 13日 (日)

 自分の希望がみんなから認められ、みんなから応援され、肯定され、みんなの協力の中で精一杯頑張って、うまくいく。みんなが幸せになる。

それは理想だ。その状態になればいい。でも、必ずしも理想通りいくのかな。

 だれを傷つけたくなくても、結果的に傷つけるかもしれない。期待に沿えないかもしれない、他人の期待にも自分の期待にも。

そうならば夢の跡に何が残る? 
自信を喪失した自分?
結果、自分も報われることなく、傷つけてしまった罪悪感。
わがままだったことへの羞恥心。

だったら希望などなくてもいい。
協調性だけ考えて生きればいい?

その選択肢も選べないらしい。生きる気力がなくなるから。死刑すら望むから。

混沌とした基準・・・・誰が喜んで誰が悲しんでいいことなのか悪いことなのか
                   うまくいくのか   いかないのか

自分と希望を結ぶ直線。ちょっと遠くから眺めれば混沌の渦にまみれすぐぼやけてしまう。

悪人に思われても、罪悪感を感じても、直線を見つめて生きたい。

生まで混沌のなかで失速してしまうから。
2006年 08月 04日 (金)

 「たいしたことないですが」というが
 
 本当にたいしたことないと思われたくない
2006年 07月 30日 (日)

僕は考えを否定されること、恐れていた。
意固地になっても守り続けないと、何かが壊れる気がしたから。

でも、恐れる必要はなくなった。
どんどん否定されればいい。それを謙虚に聞けばいい。

否定意見を論理的な側面から、分析する。
どういう人格でどういう意向で否定しているのか、分析する。

そして、取捨選択する。
自分が一生懸命考えた意見、きまぐれの否定だけで、曲げる必要はないから。

否定されることで、考えは醸成されていく。

恐れていた否定。

不思議なことに否定されればされるほど
僕の考えは確固なものになっていった・・・
copyright (C) 絶望からスタートするブログ all rights reserved.
designed by polepole...

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。