ブログをやめることにしました。
最初の文章のなかで「完全に絶望から抜け出すか、このまま沈んでいって更新する気力まで失うか。それまで続ける予定です。 」と書きました。最初の文章を書いたときは前者を想像して頑張ろうというつもりで、後者の「更新する気力を失う」は前者が達成できないときの可能性でしたが、残念ながら後者になってしまいました。
いままでコメントくれた皆さん、リンクをしてくれた皆さん、ありがとう。
リンクをしてくれた皆さんは もう更新を停止したブログですので、リンクを外していただけるといいと思います。
削除するか迷いましたが、少ないながらもトラックバックをしていただき、ほんの少し、ほかのブログの共有コンテンツになっているので削除しません。
更新を停止したので削除は運営されてるFCブログさんの判断ですね。
さようなら。
生理的にやりたくないけど、完成させなければいけない書類がありました。
完成させないといけない、という意識があるので眠らないようにしました。
しかし生理的に受け付けないので手が進みません。
とりあえず起きてネットやゲームをしてました。意識の上では1時間後にやろう。と思うのですが、手が進みません。とりあえず起きてました、午前7時くらいまで。
すると眠くなって日中寝てしまいました。19時くらいに起きます。書類を完成させなければいけません。しかし生理的に受け付けないのです。また起きてました。部屋を整理したり、自炊も後回しにして書類を完成させようとしました。しかし結局手をつけず。生理的に受け付けないからです。前日と同じようにただ起きてるだけでした。
そんな生活を1週間近く続けてしまいました。余計他の雑務もたまってしまいました。
そんな自分は愚かに見えました。客観的に見れば。
だけども、なかなか自己管理は難しいです。
悪いとき、ピンチの時、うまくいかないとき、不利なとき、不調のとき、
そういうときこそ、頑張らなきゃいけないのかもしれない。
なのに、後悔したり、無気力になったり、投げ出したくなる。
昔、流行った歌でいうところの、
『負けないこと♪逃げ出さないこと♪なんとかなんとか♪信じぬくこと♪
だめになりそうなとき〜それが一番大事♪』
そこまで理性的になれない。
うまくいかなかったら落ち込む。遅れてたらやる気が萎える。ペースが遅くなる。
自然な感情だけど、
理想としては、いいときもわるいときも、能力を最大限発揮できるように。
ということは、
下手に落ち込むべきではないのかもしれない。
悩む必要はないのかもしれない。
うまくいかなくて落ち込むのが条理という印象だったけど
合理的に考えると不合理なのか。変な表現だけど。
理想として、状況の良し悪しにかかわらずマイペースに進めるようになりたい。
結果よりプロセスって感情的な(感情に配慮した)肯定論だと思ってたけど、
案外合理的かもしれない。
最近、自分を肯定することが大事だなと思った。心の健康のために。肯定するといっても評価としてではなく、心情的に。評価としての肯定、心情的な肯定は僕の中で違う。
たとえば、プラス思考って言葉がある。プラス思考は広く使われてる言葉だから使う人の間で微妙に定義が違いそうだけど、僕の想定する意味は、「たとえ失敗したとしても、そこから学ぶことができて良かった。」のように出来事をプラスに解釈する。最初に評価、心情、2つの肯定の区分を書いたけど、この場合は両方肯定。うまくいかなくても、嫌なことがあっても、出来事のとしてプラスに解釈して、結果的に心情的にも、気持ち的も肯定する。
でも、このプラス思考に馴染めないw 失敗は失敗。嫌なことはやっぱり嫌でしょう。と感じてしまう。だって、うまくいかなくてもプラスに解釈にすると、結局何がプラスで何がマイナスか分からなくならない?まあ、この分からなくなるっていう疑問は後付けなんだけど。実際のところ、気持ち的に馴染めない。無理してる感が出てしまう。プラス思考が重い。作り笑いと似た感触なのかな。いいことがあったら喜び、嫌なことがあったら落ち込むのが自然・・・・だけど自分はダメだダメだってなるから(本当にダメだと思ってるし)ネガティブな思考へ言ってしまう。覇気が無くなってくる。無気力になってくる・・・・・
自分はダメだ、ダメだという思考も行き過ぎると病理的な方向へ進むらしい。確かにひどい無気力な時期はまったく何も手につかなくなった。まともに生活していけるのかと思うくらい。精神的にも暗かったし。うつ病認知尺度チェックなるものをやってみた結果が・・・
総合得点は 81 点です。中程度問題ありです。
以下の項目で一番得点の高い項目があなたの性格傾向です。
○「否定的自己認知」得点は 34 点です。危険域です。
○「対人認知」得点は 25 点です。問題ありません。
○「強迫的思考」得点は 22 点です。問題ありません。
「否定的自己認知」とは極端にへりくだって自分を悪く言う傾向があるということです。
「対人認知」とは他人の評価を気にするとともに依存性を意味します。
「強迫的思考」とは何事も完全でなければ気が済まない、いささか堅い性格です。
僕がここまで書いてたのは「否定的自己認知」に該当するのか?しっかり当てはまってる(苦笑)あと、この「対人認知」「強迫的思考」も行き過ぎると良くないのも頷ける。他でも聞いたことあるから。僕はあまりその傾向はないようですね。
話のまとまりがなくなってきたので一旦整理w
プラス思考(僕の想定する)まとめ
前提 評価(成功か失敗か)が心情(喜ぶか落ち込むか)に結びつく。
評価=心情
パターン 例)失敗したおかげで勉強になった。
失敗した(出来事)→プラスに解釈する(評価)→落ち込まない(心情)
違和感 「失敗した(出来事)→プラスに解釈する(評価)」この部分
なんでもプラスに解釈すると評価軸がおかしくならないか?
プラス思考をするメリットの前提に評価(成功か失敗か)と心情(喜ぶか落ち込むか)が一致がある(悪いことがあったら落ち込む)。出来事→評価・解釈→心情・気持ちの流れを想定している。感情がが否定、否定に向かうとよくないので、失敗した経験(出来事)をプラスに解釈して(評価の段階で)、落ち込まないようにする(心情)。ただ、僕は「失敗した(出来事)→プラスに解釈する(評価)」の部分に違和感を感じる。
違和感の中身。評価は方向性を決めるものって考えがある。「あれはダメ、これはいい」があるからいい方向を舵をとろうとする。「あれもこれも全部いい」にしちゃうと羅針盤が狂わないかな?ともかく違和感がある。
そこでタイトル「心情的に肯定」は評価と心情が分離してもいい。評価の面でダメでも、ダメなところは認める。ダメでもいい。感情的には無条件で肯定する。
心情的に肯定するまとめ
前提 評価(成功か失敗か)が心情(喜ぶか落ち込むか)は分離してもいい
評価≠心情
パターン 例)失敗は失敗でも落ち込むことはない。
失敗した(出来事)→妥当に解釈する(評価)→落ち込まない(心情)
違和感 うまくいかないことを自覚してるのに気持ち的に肯定することに違和感はない?
しかし、うまくいかなった・・・・・のに肯定するのはそれこそ違和感があることかもしれない。人それぞれだと思うけど。端的にいうとこの場合、気持ち的に肯定する理由がない。ダメだったなら落ち込むのが自然・・・・・・なんだけどそこは肯定するw
実は理由がある。結局出来事自体とは因果はないけど、こころの健康のためという理由が。これは大きい。落ち込む→うまくいかない→無気力→うまくいかないの悪循環にならないためにも。
僕はまだ学生で正社員として雇用されたことはない。バイトなら経験がある。
その範囲の話です。
上司が部下を叱ることがあっても、逆はまずない。
先輩が後輩を叱ることがあっても、逆はまずない。
親が子を叱ることがあっても、逆はまずない。
先生が生徒を叱ることがあっても、逆はまずない。
少なくとも小中時代を思い出してみると、先生を叱る小中学生は見たことないw
もっとも、最近は変わってきつつあるのかな?僕の大学では学生が教員を評価する仕組みがあって、授業の評価アンケートなんてのもあるけど。
大概は目上の人が注意する。目上の人のほうが経験を積んで偉いから正しい。
本当にそうなのだろうか。常に?
「正しさを伝える人」と「正しさを受け取る人」、関係性が固定している気がする。
2通りの解釈が浮かんだ。
『目上の人は経験を積んでるから正しい。目上の人は下の人より正しい人。』
『目上の人は権力をもってるから正しい。権力があるほうが正しくなる。』
最近、自己防衛機能が稼動している。
嫌なことを考えないようにしてる。
考えても鬱になるだけだし意味ない事は忘れればいいんだって気づいた。
しかし、考えないようにしようとすればするほど泥沼にはまるのもありえる。
コツをつかんだ。
回避。
考えないようにしよう、しようと必死にもがくことは、関心を持っているともいえる。
関心を逸らす。興味をなくす。
心配なことは嫌だけど本当に重要なことを忘れはしないか?
記憶が穴だらけにならないか?
大丈夫。
本当に重要なことは忘れようにも忘れられないし
表面上忘れていても、回想して、大丈夫な時期になったら思い出せる。
考えない 忘れる